現代社会の問題を哲学的に考える際、その切り口の1つとなるのが言葉の問題である。昨今では特定の言葉の使い方に対して批判がなされ、表現に対する制限も見受けられる。そこには言葉に関する「正しさ」が関わっているが、その背後には言葉を支配したいという欲望が透けて見える。(2019年10月26日開催・テンミニッツTV講演会「西洋哲学と東洋哲学から考える日本の課題」より全11話中第1話)
※司会者:川上達史(テンミニッツTV編集長)
哲学から考える日本の課題~正しさとは何か
「正しい言葉とは何か」とは、古来議論されているテーマ
哲学から考える日本の課題~正しさとは何か(1)言葉の正しさとは
哲学と生き方
時間:5分57秒
収録日:2019年10月26日
追加日:2020年2月17日
収録日:2019年10月26日
追加日:2020年2月17日
≪全文≫
●言葉の問題における「正しさ」とは?
―― 本日のテーマは「西洋哲学と東洋哲学から考える日本の課題」ということなのですが、最初に取り上げたいのは、最近の社会のあり方で少し気になる問題です。例えばポリティカル・コレクトネスやポピュリズムは、どのような原理から考えるべきなのでしょうか。是非、お聞きしたいと思います。
最近は、ちょっとした失言があると、すぐ批判が集中して、炎上してしまいます。あるいはトランプ大統領がツイッターで何かをつぶやくと、一気に情勢がガラガラと変わるなど、言動によって激しい動きが見られます。そのため、時には一種の「言葉狩り」的な状況も、最近では見られます。こうした今の傾向を、どのようにご覧になっていらっしゃるでしょうか。一言ずついただければと思います。では、納富先生、お願い致します。
納富 はい。どうもありがとうございます。納富です。よろしくお願いいたします。
現代の社会で、日本で実際に起こっている問題をどのような切り口から考えるかということが、本日のテーマかと思います。そのなかで、今触れていただいた、私たちは言葉をどう使っているのかという問題は非常に重要で、そこは反省が必要だと思います。中島さんも私も文学部畑ですので、政治や法律に直接関与しているわけではありません。しかし、むしろそのほうがこうした問題に対して、より基本的なことを考えられるのではないかと思っています。
言葉の問題にはいろいろな側面があります。先ほどの例でいえば、特定の言葉の使い方に対する批判がなされて非常に息苦しくなったり、言葉尻だけで攻撃するようなことも多いのです。私自身の経験でいうと、ものを書いていると、言葉遣いとして今まで普通に通用してきた日本語の単語が、次々とブラックリストに載っていって、使えなくなってしまう状況があります。これは、日本語の貧困の問題というべきで、どうだろうと疑問に思うこともあります。
このあいだも、プラトンの文章を翻訳するなかで「盲目的」という言葉を使ったところ、盲目という単語に問題があると言われて、「えっ」と思いました。こんなとき、「どうしたらいいんだろう?」となってしまうのです。
盲目というのは、もちろん目が不自由という意味なので、使い方によっては、目が健全な健常者とそうでない人を区別することになるかもしれません。しかし、...
●言葉の問題における「正しさ」とは?
―― 本日のテーマは「西洋哲学と東洋哲学から考える日本の課題」ということなのですが、最初に取り上げたいのは、最近の社会のあり方で少し気になる問題です。例えばポリティカル・コレクトネスやポピュリズムは、どのような原理から考えるべきなのでしょうか。是非、お聞きしたいと思います。
最近は、ちょっとした失言があると、すぐ批判が集中して、炎上してしまいます。あるいはトランプ大統領がツイッターで何かをつぶやくと、一気に情勢がガラガラと変わるなど、言動によって激しい動きが見られます。そのため、時には一種の「言葉狩り」的な状況も、最近では見られます。こうした今の傾向を、どのようにご覧になっていらっしゃるでしょうか。一言ずついただければと思います。では、納富先生、お願い致します。
納富 はい。どうもありがとうございます。納富です。よろしくお願いいたします。
現代の社会で、日本で実際に起こっている問題をどのような切り口から考えるかということが、本日のテーマかと思います。そのなかで、今触れていただいた、私たちは言葉をどう使っているのかという問題は非常に重要で、そこは反省が必要だと思います。中島さんも私も文学部畑ですので、政治や法律に直接関与しているわけではありません。しかし、むしろそのほうがこうした問題に対して、より基本的なことを考えられるのではないかと思っています。
言葉の問題にはいろいろな側面があります。先ほどの例でいえば、特定の言葉の使い方に対する批判がなされて非常に息苦しくなったり、言葉尻だけで攻撃するようなことも多いのです。私自身の経験でいうと、ものを書いていると、言葉遣いとして今まで普通に通用してきた日本語の単語が、次々とブラックリストに載っていって、使えなくなってしまう状況があります。これは、日本語の貧困の問題というべきで、どうだろうと疑問に思うこともあります。
このあいだも、プラトンの文章を翻訳するなかで「盲目的」という言葉を使ったところ、盲目という単語に問題があると言われて、「えっ」と思いました。こんなとき、「どうしたらいいんだろう?」となってしまうのです。
盲目というのは、もちろん目が不自由という意味なので、使い方によっては、目が健全な健常者とそうでない人を区別することになるかもしれません。しかし、...