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カントと『論語』の対立を超えたところで正しさを議論する

哲学から考える日本の課題~正しさとは何か(6)正しさの基準

概要・テキスト
イマヌエル・カント
特定の物事が「正しい」ものだったかどうかを判断するためには、その行為への評価にとどまらず、より広いコンテクスト(文脈)から考えなければならない。つまり、文脈によって「正しさ」の内容は変わるものである。(2019年10月26日開催・テンミニッツTV講演会「西洋哲学と東洋哲学から考える日本の課題」より全11話中第6話)
※司会者:川上達史(テンミニッツTV編集長)
時間:06:29
収録日:2019/10/26
追加日:2020/03/16
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≪全文≫

●正義の内実を本質的な問題から考える


―― 少し角度を変えてご質問したいと思います。「正しい」ということが人に結びつく場合、立場によってはあえて「正しくない」ことをしなければならない可能性もあるのではないでしょうか。

 例えば、政治家や外交官のようなタイプであれば、マキャヴェリではないですが、賄賂を渡してさえ資源を取らなければいけないかもしれませんし、多少ブラフ的なことをかませて、相手とうまく渡り合わなければいけないかもしれません。ただし、それが「正しい」かどうかについては、どう考えればいいのでしょうか。さらに、それが人のことである場合、各行為について、どう見ればいいのでしょうか。

納富 まさに今おっしゃったような問題において、「正しい」ということを具体的に考える場合、特に1個1個について抽象論で考察しなければならないと思います。1ついえるのは、個々の行為として取り出すと、「これは正しいか、正しくないか」といったような問題になってしまうということです。しかし実際には、もう少し文脈が大きいのです。

 つまり、「正しい」人が「正しい」ことをしているというあり方において、別に「目的が手段を正当化する」というようなつまらないことを言うつもりはないのですが、「全体」という意味での総体的な問題のなかで、大きい・小さいとか、重要である・重要でないとか、あるいはこれは外してはいけないよね、みたいな問題はたぶん決まってくると思うんです。

 「ここを外したら、やはり社会が社会として終わっちゃうよね」とか、政治でいえば、「ここはやはり外してはいけないよね」とか、人のあり方として「これはやっぱり絶対、踏み止まらなくてはいけないよね」というような議論のなかで出てくる正義の話と、もう少し小さな問題(「小さな」といっては失礼ですけれども)を一緒くたにしてはならないということです。人間である以上、ちょっと失敗してしまったり、場合によっては必要悪のような問題もあります。それらを一緒くたにしてしまい、小さな失敗をしてしまっただけで「こいつは悪いことをしたんだから犯罪者」というように考える発想法自体は、「良い人」「良いあり方」という議論からすると、比較的避けられるのではないかという気がします。

 このように考えると、何が重要な問題かと見極めるのは非常に重要です。つまり、正義とはどのぐら...
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