●普遍的なものをもう1回問い直すための「世界哲学」
―― 次の質問に参ります。
「20世紀になって西洋哲学では、解釈学、現象学、論理実証主義が現われ、その後は構造主義も登場した。21世紀に入り20年近くになるが、新しい哲学の動きは出ているのか。また、そうした動きは、日本や世界の課題を解決するのに、有効な処方箋たり得るのか」
こういう質問です。いかがでしょうか。
中島 これは少し手前味噌になりますが、納富さんと一緒に私は「世界哲学だ」と今、言っています。これはひょっとすると、1つのチャンスかもしれません。
ここでいう「世界哲学」とは、何か「世界」というものを想定し、そこにさまざまな哲学があるから、それらをコレクションして眺めましょうというものではありません。そんなことは、もう前からやられています。あるいは、世界的に普遍的な哲学があり、それを深く探求していけばいいのだという考え方とも違います。
そうではなく、私たちがここで「世界哲学」として考えているのは、「世界」という概念も「哲学」という概念も、私たちは実はまだよく知らないのではないかということで、その2つが合わさって新しい場所というものが開けるんじゃないか。世界と哲学に対して、もう一回“驚き直そう”と試みているのです。驚き直した上で、何かもう少し人間にとって重要な、個別なものに埋没するのではない、普遍的なものをもう1回問い直すチャンスを、取り戻したいと考えているのです。
●“human becoming”から“human co-becoming”へ
中島 ここまで私たちは、重要なのは「人」であるという議論を問題にしました。例えばミシェル・フーコーなどは、「人間なんていう概念は消えていくんだ」とまで言います。しかし、本当にそうなのかといえば、私はそうではないと思っています。人間という概念はまだ私たちには十分分かっていないし、これから改めて再定義し続けるしかないんじゃないかと考えています。
当然、現在においてはAIやテクノロジーも進展しています。そうしたなかで、人間のあり方は、繰り返し問われていると思います。そうした問題に関して、ちゃんと答えられる人間、あるいは人のあり方を考え直したほうがいいんじゃないか。そうしたなかで、この講演会では「人が人になる」ということについてお話ししました。
例えば、私の友人は、「人間とは“human being”...