●小農耕と互酬性と人的ネットワーク
実は人間社会にはこの互酬性があるので、たとえミョウガの5本でも贈ったら、翌日にはおまんじゅうが届くわけです。おまんじゅうをもらったら、今度はミョウガ以外の、例えばお花などを持っていかなければいけない。そうしている間に、きくのおばあさん(祖母)はご近所中の人気者とは言いませんが、「ものをくれるおばあちゃん」ということになり、いろいろなものが家に届き出すのです。
春になると、土手に行ってツクシを摘みます。ツクシを摘んで、ハカマを取って、時間をかけてうまく煮ると、ちょっとした苦みがあるので、おいしい佃煮になります。しかも、どのくらいの背丈のときが一番おいしいかが分かると、その背丈のときに摘むので、「おばあちゃんの作ったツクシの佃煮はおいしい」と言われる。
すると、今度はどういうことが起こるか。「おばあちゃん、ツクシを摘んできたから煮て」ということになって、ツクシが届くようになるのです。そうこうしている間に、田舎の人なので、梅干しを漬けたりするわけです。うまく漬けると、塩辛いものや、少し薄塩のものなど、何種類かの梅干しができる。すると今度は、「おばあちゃん、梅干し漬けるのがうまいのね。うちの庭には梅の木があって……」と、今度は梅の実が届くようになる。
そうすると1年中、「ツクシが採れました」「梅が採れました」などと言って、先方が持ってくる。こちらは漬けたものの一部を相手に渡す。そうしている間に、「私も漬けてみたい」という人が現れ、家で梅干し漬け教室や佃煮の煮方教室が行われ出す。
これを考えてみると、いわゆる「原始農耕」「小農耕」が庭で始まり、採れた産物を人に渡すことによって、相手からまた物が届くようになる。そのことによって人間のネットワークができて、今度は技術の移動が行われるようになっていく。つまり、最初は小さな猫の額ほどの場所で行われた農耕なのだけれども、ものをやりとりしている間に、人的なネットワークが生まれてくる、ということになるわけです。
●ものの広がりは、その地域のネットワークを表す
そこで考えてみてほしいのですが、「これ、佃煮です」と言って持ってきたとしても、信頼がなければ食べません。毒が入っているかもしれないのです。つまり、ものの移動というものは、信頼がないと行われないのです。
だから基本的には、不正取引をすると、短期的にはいいかもしれませんが、長期的にはその社会の中で生きていけません。そうしたシステムを、人間社会は構築しているのです。つまり、不正をした人を排除していくシステムが次々に生まれていく、という社会システムを持っているのです。
祖母の場合、それがミョウガであり、また多かったのは里芋でした。里芋の茎をうまく調理すると、これがまたおいしい酢の物になります。調理が難しいのですが、うまくするとおいしい。すると、里芋は芋で食べるわ、茎で食べるわで、その中でネットワークが生まれてくるわけです。
例えば、ローマのコインが中国の古代遺跡で発見されて、シルクロードを通じてもたらされたといわれます。あるいは正倉院宝物の中に、カット・グラスというガラス製品があるのですが、それらの起源はペルシアにあるといわれます。ペルシアから飛鳥まで道がつながっていることは事実で、交易が行われていたことも事実です。それらがシルクロードを通ってきたことも事実です。しかし、勘違いされているのは、それらをペルシアからずっと運んだ人がいたということで、そんなことはありません。さまざまな交換が行われながら、広がっていったのです。
例えば、「黒曜石」といって、刃物の代わりになる鋭い黒い石があります。これについても、黒曜石を持って全国を回っている人がいたかもしれませんが、さまざまなものと交換されながら黒曜石は広がっていったのです。特定の地域に黒曜石が広まっているとすると、そこでさまざまなものを交換するネットワークがあった、そのような経済圏があったと見なければいけません。つまり、人間の知恵は、そういった広がり方をしていくというのが私の考え方です。
●歌の始まりも言葉の交換から
ものの交換だけではなく、実は歌も、初期の段階では交換するところからスタートします。
例えば『古事記』を見ると、「結婚しようよ」「子どもを作ろうよ」と、イザナキノミコトとイザナミノミコトがお互いに声をかけ合うところがあります。「あなにやし えをとこを(なんと素晴らしいおとこであることよ)」「あなにやし えをとめを(なんと素晴らしいおとめであることよ)」と、相手を褒める言葉を取り交わすのです。それから、「みとのまぐはひ(性交渉)」が行われて、子どもが生まれるという神話になっているのですが、交流の始まりは「...