秀吉は室町時代までとは全く違う武家政権を作ってしまったという黒田氏。それが「公武統一政権」で、これは江戸時代にも受け継がれなかったため、日本史の中で唯一のことである。いったいどういうことなのか。また、なぜ江戸幕府はそれを受け継がれなかったのか。最終話では、公武統一政権について、武家と公家との関係性とともに解説する。(全10話中第10話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツ・アカデミー編集長)
≪全文≫
●公武統一政権と「官位制」の導入
―― 少し話が変わりますが、冒頭に羽柴と豊臣の話をお聞きしましたが、「豊臣」(の氏)が必要だったというのは、例えば関白などに任官するときに必要だということですか。
黒田 関白に任官できるのは、その段階では藤原氏だけなので、近衛家の猶子になって「藤原秀吉」という形で関白になりました。ただ、そうすると藤原の一族になって、「藤氏長者」(藤原氏の代表)として藤原氏一族全体の面倒を見なければいけない。
また、秀吉が何かの都合で誰かに関白を譲った場合、その人が藤氏長者になるので、その結果、羽柴家が藤原氏一族の配下に入ってしまう。そのような不都合が生じるので、(関白就任の)2か月後には天皇から豊臣の氏を与えられるという体裁を取っています。それは既定路線だったのではないでしょうか。
―― 今の話は、秀吉(豊臣)政権の日本史的な意義ということにもなろうかと思います。日本史においては、いわゆる「征夷大将軍になれるのは『源』でございます」とか、「関白になれるのは『藤原』でございます」といった非常に固まったもの、歴史上積み上げられてきたものの中で、特に京都を中心とした政治が動いてきたところがあると思います。戦国の最後という局面であの二人、羽柴兄弟が出てきたことの意味を先生はどのようにお感じになりますか。
黒田 室町時代までの武家政権とは全く違う武家政権を、秀吉は作ってしまったわけですね。
―― どう違うのですか。
黒田 室町時代は、あくまでも朝廷があって幕府があるような形になっていた。ところが、公家の最高位に秀吉が就いてしまったことで、公家も秀吉の配下に入ってしまうわけです。本当の公武統一政権というものができてしまう。これは江戸幕府には受け継がれていないので、唯一の状況です。公家と武家が全く同居して政権を構築するという形が、たまたま秀吉が関白になってしまったことで生じてしまったわけです。
あとは、武家の序列も官位制による秩序を作られていて、江戸幕府の段階で家康は当初それを否定しようとするのですが…。
―― そうなのですか。
黒田 官位昇進をさせないのです。けれど、やはり序列は残っているので、結局秀忠の段階で全面的に官位制に基づく序列作りに舵を切るわけです。
―― 「従三位」とかという(ものですね)。
黒田 そうですね。侍従や参議な...