●人間行動生態学のタイムスパンで見た文明の短さ
長谷川眞理子です。今回(の話は)、進化的に考えて人間の生活とはどういうもので、今の私たちの社会がどれほどもともとの生活から離れてしまったか。それによっていろいろな、何々障害や何々症候群のような、いってみればそれに罹った人が悪いのではなく、周りあるいは社会がこうなってしまったために、どんどん増えてきたものがあるのではないかということ。もう少し、個人のことよりも社会全体のシステムのことを考えたほうがいいだろうという話をしたいと思います。
話の流れとしては、ヒトが進化した舞台である狩猟採集生活について、皆さんはあまりご存じないかもしれませんので、その話を少しします。
それから、都市文明と大規模な社会というのが今の社会ですが、それが発展したことで、もともとの暮らしはどのように激変したか。私たちはそれをあまり気にしないというか、考えないですよね。今ここでは、この何十年(間にできあがった環境)で暮らしているし、何百年も何千年も何万年も前にどんな暮らしでいたかは知らないので、考えない。でも、やはりそこからいかに私たちが自分たちの文化によって変わってしまったかということは理解したほうがいいと思います。そういうところから、いろいろな意味で現代は異様だという話をしたいと思います。
人類学にもいろいろな分野がありますが、私は人間の行動と生態ということ、それが進化の中でどう動いてきたかということを研究しています。考えるタイムスパンとして、まずは人類がチンパンジーなどの類人猿の系統と分かれたのが600万年前。それからサピエンス──私たちヒトはホモ・サピエンスですが──が現れ、進化したのは30万から20万年前ということで、非常に長い(ターム)ですよね。そういう長い目で見るのが、職業的に普通のことになっています。
一方、私たちのこの文明社会というのは農耕・牧畜・定住により成り立って、今の現代文明があります。そういう農耕・牧畜・定住を始めたのは、人類の進化史の中でたった1万年前です。また、これが1万年前に始まったからといって、すぐに全員がそういう生活様式を採用したのでは全くなく、なかなか広がらなかったし、ごく少数ですが今でも狩猟採集生活をしている人たちもいま...