●ローマは世界史のブランド品だ
今日のテーマは、レジュメにありますように、ローマ史の活用法です。私は昭和22年の生まれで、団塊世代のトップバッターのようなところにいますが、その世代が学生だった頃に大先生とされていた丸山眞男という東大の政治思想史の先生がいます。年配の方はご存知かと思いますが、若い人はもしかしたら初耳かもしれません。彼がある対談の中で、こういうことを言っています。
「ローマ史というのは、社会科学の実験室であり、人類の経験の全てがあの1,200年ぐらいの間に詰まっている。人類が経験することは、ほとんど、あそこで1回はやっている」。こういったことを丸山さんは言っています。
私がこれを最初に読んだ時、大学院生としてちょうどローマ史を始めたばかりの頃だったので、一つの心強い言葉として聞いていました。また最近では、塩野七生さんが1990年代から2005年ぐらいまででしょうか、『ローマ人の物語』(新潮社)全15巻をお書きになっています。これに非常に啓発された方も多いのではないかと思います。
ここ10年ぐらい、私はローマに行くと塩野さんのお宅に連絡して、どこかで食事をします。塩野さんは、たぶん日本に来たら、いろいろな政治家や実業家の方とお会いになって、ごちそうされるのだと思いますが、私はローマで塩野さんにおごってもらっている数少ない人間の1人ではないかと思います。「ローマに来てくれたぐらいでいいわよ」と言って、毎回おごってもらっています。
彼女が、話の中で言っていました。最初の頃、塩野さんはイタリア・ルネサンスなどの時代のことをたくさん書いていました。『海の都の物語』や『ヴェネツィア物語』といった作品を書いていたのですが、そこから急に1,500年ぐらいさかのぼって、ローマのことを執筆された。その時に、周囲から相当、質問をされたそうです。「なぜローマなの?」と。そうしたら、彼女が一言、「何言ってんのよ。ローマ史は、もう世界史のブランド品なんだよ」と答えたそうです。やはり直感的には、丸山先生が感じておられたようなことを塩野さんも感じていた。おそらく彼女は、実際にはもっと以前から自分のライフワークとしてローマに取り組むことを考えていたのでしょう。
●独裁者を嫌うローマは、共和政を選んだ
紀元前753年、七五三ですから覚えやすいと思いますが、この年にローマが建国されたと言われています。あの有名な双子の兄弟(ロームルスとレムス)がいて、その後、王政の時期が続きました。それが250年ぐらい続きます。紀元前509年に、7代続いた王様が追放されます。
最後の王は、エトルリア系の人間でした。エトルリアは、ローマ人の地域よりも先進的な地域です。今はトスカーナ地方と呼ばれています。トスカーナ地方は、イタリアの中で一番良い地域です。フィレンツェから、ちょうどローマとの間の西側、イタリア半島の西側にあります。ローマ人がエトルリア人のことを「トゥスキー」と呼んでいましたが、それがなまって、現在はトスカーナになっていると言われます。最初にイタリアにやってきた連中は、一番良いところだからそこを取ったわけですね。
エトルリア人がそういう勢力を持っていて、ローマ人の中にも入り込んでいました。ローマの王政の最後の方はエトルリア人だったのです。ところが彼は非常に傲慢(ごうまん)な王だったので、それを追放して、いわゆるローマの共和政がつくられます。その時に、その国家のことをローマ人は「レスプブリカ(Respublica)」と呼びました。レスプブリカとは、直訳すれば「公のこと」というぐらいの意味しかありません。プブリカとはパブリック(public)ですね。レスは英語で言えば、シング(thing)とかマター(matter)にあたります。だからレスプブリカは「公のこと」でしかないのですが、それが詰まって、現在ではリパブリック(Republic)とかリパブリカン(Republican)という言葉になります。だから、現在トランプ氏がいる政党の名前をさかのぼっていけば、ローマの国家の名前に行き着きます。
ローマは、そういう貴族たちが集まった場所です。とにかく独裁者を嫌います。先ほど述べたように、非常に暴虐なエトルリア人の支配者がいたため、ローマの貴族は彼を追放します。そしてローマ人の手で、いわゆる貴族主導の共和制国家をつくり、それが500年続きます。さらにそれを打ち破って新しい時代を築こうとしたのが、カエサルです。ご存知のようにそのカエサルは、確かに大きな権力を握りますが、実際にはそれから5年ぐらいで殺されてしまいます(その話も後で少し詳しくやります)。
その後、彼の後継者であるオクタヴィアヌスがアウグストゥスと呼ばれるようになって、ローマの帝国時代がまた500年ぐらい続きます。そういう経緯を経て、紀元後の5世紀後...