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「100年戦争」と考えて戦争に突入した日本の現実

戦前日本の「未完のファシズム」と現代(8)満州事変と世界大恐慌

片山杜秀
慶應義塾大学法学部教授/音楽評論家
情報・テキスト
満州事変(柳条湖事件)
日本の陸軍は第二次世界大戦を「100年戦争」であると見なした。勝てる見込みは少なかったにもかかわらず、天皇と国民の一体性という精神主義によって、総力戦になだれこんでいった。石原莞爾が満州事変を起こした時に描いたストーリーとは違う展開になっていったのだが、その背景には世界大恐慌があった。(2020年2月26日開催・日本ビジネス協会JBCインタラクティブセミナー講演「戦前日本の『未完のファシズム』と現代」より9話中8話)
時間:10:40
収録日:2020/02/26
追加日:2020/08/04
≪全文≫

●陸軍が考えた「100年戦争」と朝鮮における米の増産計画


 (大東亜共栄圏を建設しながら戦争を続けるという、建設と戦争の平行を真面目に考えました。)だから、日本の陸軍の有力者たちは、「100年戦争」といいました。つまり100年の間に、東南アジアで油やゴムの生産を行いながら戦争を続けることで、日本は強くなると考えたのです。どう考えたらそうなるのかがよく分からないのですが、こうして資源を取りながら勝つという戦略です。

 ところが、皆さんよくご存知のように、護衛する艦隊もありません。輸送船も足りません。みんな途中で沈められてしまいます。石油も来なくなります。

 少し話が戻りますが、食糧も同様です。日本は当時すでに、朝鮮や台湾に基本的な食糧生産をだいぶシフトさせていました。大豆は満州、お米は朝鮮です。日本の農業人口を第二次産業にシフトさせ、工業生産力をアップさせ、近代国家への脱皮を図っていくという戦略です。

 この戦略は陸軍ではなく、政党内閣が考えました。特に民政党です。濱口雄幸や井上準之助は、地方を犠牲にして農民を食い詰めさせ、彼らを横浜とか神戸に出てこさせました。スコットランド農民が追い出されて、イングランドで低賃金労働者になったのと同様に、みんな都会へ出てくれば良いのだという発想です。

 しかしだとすれば、その分のお米は誰が作るのでしょうか。朝鮮です。こうして濱口雄幸が推進したのは、朝鮮でお米をたくさん作るという増産計画です。これが大正時代から昭和にかけて行われたことです。

 朝鮮総督府も同様です。朝鮮総督府は、朝鮮の人たちを食べさせないと反乱が起きると考えました。反乱を起こさないようにするためには、朝鮮人を豊かにしなければならないということです。第2次産業は、まだ難しい状況でした。第1次産業でたくさんお米を作ってそれを日本が高く買えば、朝鮮の農民は豊かになり、日本の統治を喜ぶだろうということです。

 そのためには、日本のお米よりも安くおいしいお米を作り、どんどん日本に輸出することで、日本本土の農民が食べられないようにする必要があります。朝鮮が食えないと、反乱が起きて朝鮮総督府は成り立たないからです。当時のいろいろな審議会の記録を見ると、朝鮮総督府の役人はこうした理屈でした。われわれが朝鮮を統治するためには、日本の農民が泣くのは当たり前だというものです。

 そうした問題があるにもかかわらず、倉庫業等は喜んで協力しました。日本の民間企業や財閥は下関等にどんどん倉庫を作り、そこでお米を入れておけば良いと考えたのです。これにより財閥も儲かり、日本の地主も朝鮮で地主になって儲かる。朝鮮の農民も食えるようになる。統治はうまくいく。そして、日本では農村から低賃金工業労働者が出てくる。これで日本は統制派ビジョンの通り、工業国としてうまくいく。こうした回路を考えていました。


●石原莞爾が満州事変の時に描いたストーリーとは違う展開に


 ところが、太平洋戦争が進むと制海権を失い、朝鮮からでさえお米を運べなくなりました。昭和20年には、戦後の飢餓がもたらされました。

 これが日本の考えた戦争の仕方です。もちろん、戦争はしないで済めば良いのですが、第一次世界大戦後の次の世界大戦では、陸軍も海軍もこうしたことを考えました。

 もちろん陸軍や海軍は、戦争をするセクションです。もし戦争になったら勝てるよう、今のような試行錯誤をします。本気で戦争をしたいとはもちろん思っていません。皇道派など、戦争したら絶対に負けると考えていたほどです。石原莞爾などは全く自信を持っていませんでした。

 石原莞爾は、満州で30年ぐらい工業生産を高めていくことで、アメリカと初めて対になれると考え、満州事変を起こしました。満州事変が1931年で、1941年には日米戦争が始まったので、この間は10年しかありません。これでは、彼らが考えたストーリーとは全く違っています。東条のような、ある意味真面目で現実を受け入れながら、最大限上手に進めていこうと考えた人は、戦争が始まってしまってはもうしょうがないということで、そのまま進めてしまいました。軍人たちの中にも、本当に戦争をしたいと思った人はいません。


●世界大恐慌が起き、ブロック経済が戦争を呼び込むのは必然だった


 戦争をするような大きな地獄の機械が回ってしまったのは、世界大恐慌に原因があります。世界大恐慌がもし起きずにアメリカの経済がうまくいって、アメリカ中心のグローバリズムが展開されていたら、そこに日本が入っていって、アメリカにある程度従属しながら、貿易で儲けることができたでしょう。中国大陸でも、アメリカの資本を上手に入れていくことができたでしょう。アメリカが蒋介石と組み、日本に圧力を掛けていくこともなく、世界大恐慌もな...
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