●真珠湾攻撃はアメリカの戦略だったのか
―― 質問があります。太平洋戦争における真珠湾攻撃の際、空母が重要だったアメリカは、パールハーバーからすでに空母をほとんど避難させていたといわれています。つまり真珠湾攻撃は、アメリカの仕組んだ話だというのです。そういった説がいろいろありますが、実際にはどうだったのでしょうか。アメリカも当時はモンロー主義で、不戦という立場を取っていたため、日本をわざと誘導したのでしょうか。
片山 これについてはいろいろな議論があります。最近ではそうした考え方は一時期よりも強まっており、説得力のある議論が展開されています。
ルーズベルトがいかに日本に先手を取らせるかと考えていたと言う点については、私もある程度同意します。しかし、アメリカの太平洋艦隊の状況の中で、空母がパールハーバーにいなかったのは空母が大事だったからだという議論については、疑問が残ります。証明するような材料もないのではないでしょうか。皆さんご存知の通り、あの時に空母は、近海に演習に出ていてパールハーバーにはいませんでした。そのため山本五十六は、お目当ての空母がいなかったため、しょげたといわれています。
仮にあのときにパールハーバーに空母がいて、空母にもダメージを与えられたとしても、少し日本が自由にやれる時間が長くなっただけだったでしょう。終戦が昭和21(1946)年ごろに伸びた程度です。
アメリカが戦略的に日本に手を出させたのだという説は、かなり説得力があると思います。ただし、空母の状況のような戦場の具体的な点まで含めると、疑問符がつきます。
●太平洋戦争の開戦を誰がどうやって決めて始まったのか
―― 当時の制度として、天皇が専権的にものを決められない仕組みがあり、だから戦争の終結も、御聖断という形になった。それは理解できるのですが、スタートした時はどうだったか。例えば真珠湾攻撃です。これはどういう形で、誰が決めて、どうやって始まったのでしょうか。
片山 開戦の経過については、最近のものも含めてさまざまな研究があります。しかし共通していえるのは、アメリカは日米交渉によって、中国大陸における日本の権益から大幅に得ようとしていたという点です。それに対して日本の外交のスタンスは、明治以来の歴史経過から考えて、妥協することができませんでした。日本はかなり土壇場までそうした姿勢だったのですが、アメリカもこの点は強硬な対応を取り続けました。
それでも、アメリカと戦争をしたら勝てないだろうと思っていた陸軍や海軍の人はかなり多かったので、どこかで止める手があったかもしれません。これについては、半藤一利さん等が、当時の世論・マスコミや国民等、戦争に向けての盛り上がりを指摘しています。
アメリカが日米交渉で日本に対し、かなり強いことを言っている中で、これを飲まないと、アメリカと戦争になります。しかし、それを飲んで、中国から引き揚げ、満州事変以来苦労してきた多くのものを失ってしまうとなると、国民を説得するのは困難だったでしょう。軍の中でもそうした議論があったため、この戦争は誰かがやりたかったのではなく、やはり日本的なものです。鏡になって日本全体の気分を見ると、「まあ、ここはやるだろうな」という雰囲気の問題です。合理的に考えると、むしろ戦争をしてみないと国民は分からないだろうと見なしたということです。力の強いものがむしろいないから、ブレーキを掛けられなかったのです。こうして、戦争する方向でみんなが納得してしまったというのが、大筋だと思います。
●責任が曖昧のうちに戦争が始まってしまった
―― なんとなく総意として決まったということなのですね。
片山 そうですね。だから最近では、アメリカと戦争をせざるを得ないかもしれないが、やらない選択肢も考えるべきだという議論があったことが指摘されています。森山康平先生の研究などを見ても、両論が併記されており、たしかに、絶対やれとは誰も言っていないんですね。ところが、日米交渉の流れの中で、次第にやらないという選択肢がないような空気が昭和16(1941)年に醸成されたとはいえます。
ですから、東条英機がどうしてもやりたかったのだという説明は妥当ではないと思います。どうしてもやりたかった人はどこにもいません。むしろ、昭和天皇はどうもやりたくなさそうだということも、よく分かっていました。なるべくやらないほうが良いんだと思っていたほどです。総理大臣も、陸軍も海軍も同様です。
陸軍・海軍は、特定の日付になったら動員し、戦争を始める準備をしますという姿勢を取っていました。「日米交渉がうまくいかないようだったらやりますよ」というわけです。そして実際にこの日付になっても日米交渉はうまくいかなかったので、動員し...