●「取次」という外交官
和睦・同盟交渉にあたっては、双方の大名から交渉を担当する家臣が選ばれます。これを私は「取次」と呼んでいます。当時の史料用語としては、「奏者」という名前で出てくることがよくあります。この言葉は、下からの申請を目上に執奏するという意味が強く、対等な大名間外交に用いるには適切ではありません。そこで選んだのが、下から上にという意味合いがあるものの、奏者よりはその意味合いの弱い取次という言葉です。
この取次が、外交官のような役割を果たしました。取次の役割には、外務大臣のような仕事も含まれるのですが、交渉先の大名ごとに別の人物が設定されるので、外務大臣とすると大臣が沢山いるようなイメージです。そのため、外務大臣ではなく、とりあえず外交官として説明します。
●取次は側近だけでは務まらない
取次は、大名が自分の家臣から指名する場合もありますが、交渉相手の大名からの依頼を家臣が個人的・私的に受諾したものを、主君が追認して取次となるケースもしばしば見受けられます。後者のほうが多かったかもしれません。このことからも分かるように、取次というのは、役職という形で整備された制度ではありません。大名の家臣が沢山ある仕事の一つとして担う役割です。
私が研究の中心としている甲斐の武田氏や、相模の小田原北条氏では、一門・宿老格の重臣と、大名の側近家臣がペアを組んで取次を務めることが多いという特徴があります。ちなみに、宿老というのは、家老のなかでも特に地位の高い人物の呼び方と思って下さい。
このうち、大名の側近家臣が取次を務める理由は、非常に分かりやすいです。側近は、常に側近く侍っている存在です。だから側近というわけですが、彼らは大名の意向を一番理解している人間であると同時に、大名への個人的影響力も大きいといえるでしょう。これは、大名の私的見解を内々に伝える上で有利な立場にいることを意味します。また、戦国時代に限った話ではないですが、文書授受の手続き上、大名に送られた書状は、側近が一度受け取って、大名にその内容を披露する形式が基本でした。
親子のやりとりにも、取次となる側近が入るほどで、ルイス・フロイスという宣教師を驚かせています。ですから、外交交渉には、側近の参加が必要不可欠でした。
そこ...