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和睦・同盟交渉において重要な「取次」という外交官の役割

戦国大名の外交、その舞台裏(3)「取次」という外交官

丸島和洋
東京都市大学共通教育部 准教授
情報・テキスト
大名間での和睦や同盟交渉の際に重要な役割を担うのが、双方の家臣から選ばれる「取次」である。取次は大名の意向を正確に相手に伝えるだけでなく、その意向が家臣団の支持を得ているということを適切に伝えることが求められた。その意味で取次は現代でいう外交官に相当する、キーパーソンである。(全8話中第3話)
時間:15:14
収録日:2019/06/13
追加日:2020/01/28
キーワード:
≪全文≫

●「取次」という外交官


 和睦・同盟交渉にあたっては、双方の大名から交渉を担当する家臣が選ばれます。これを私は「取次」と呼んでいます。当時の史料用語としては、「奏者」という名前で出てくることがよくあります。この言葉は、下からの申請を目上に執奏するという意味が強く、対等な大名間外交に用いるには適切ではありません。そこで選んだのが、下から上にという意味合いがあるものの、奏者よりはその意味合いの弱い取次という言葉です。

 この取次が、外交官のような役割を果たしました。取次の役割には、外務大臣のような仕事も含まれるのですが、交渉先の大名ごとに別の人物が設定されるので、外務大臣とすると大臣が沢山いるようなイメージです。そのため、外務大臣ではなく、とりあえず外交官として説明します。


●取次は側近だけでは務まらない


 取次は、大名が自分の家臣から指名する場合もありますが、交渉相手の大名からの依頼を家臣が個人的・私的に受諾したものを、主君が追認して取次となるケースもしばしば見受けられます。後者のほうが多かったかもしれません。このことからも分かるように、取次というのは、役職という形で整備された制度ではありません。大名の家臣が沢山ある仕事の一つとして担う役割です。

 私が研究の中心としている甲斐の武田氏や、相模の小田原北条氏では、一門・宿老格の重臣と、大名の側近家臣がペアを組んで取次を務めることが多いという特徴があります。ちなみに、宿老というのは、家老のなかでも特に地位の高い人物の呼び方と思って下さい。

 このうち、大名の側近家臣が取次を務める理由は、非常に分かりやすいです。側近は、常に側近く侍っている存在です。だから側近というわけですが、彼らは大名の意向を一番理解している人間であると同時に、大名への個人的影響力も大きいといえるでしょう。これは、大名の私的見解を内々に伝える上で有利な立場にいることを意味します。また、戦国時代に限った話ではないですが、文書授受の手続き上、大名に送られた書状は、側近が一度受け取って、大名にその内容を披露する形式が基本でした。

 親子のやりとりにも、取次となる側近が入るほどで、ルイス・フロイスという宣教師を驚かせています。ですから、外交交渉には、側近の参加が必要不可欠でした。

 そこで問題となるのは、側近だけでも十分に外交交渉が行えるように見えるわけですが、にもかかわらず一門・宿老といった重臣も取次に参加するのはどういった必要性に基づくものなのか、という点になるでしょう。この問題を考える上でヒントになるのは、側近の弱点です。それは何かというと、側近が非常に失脚しやすい存在だということです。大名の家督交代が起きれば、側近層の顔ぶれは一新される事が少なくないのです。これは外交交渉の継続に問題があることを意味します。それに加え、側近の発言力は、あくまで大名の権力や意向を背景にしたものにすぎません。そのため側近の発言は大名の発言と一致しているということが大前提です。ここでは、後者の点に注目したいと思います。


●そもそも戦国大名とは


 戦国大名を含む中世の権力は、家臣団の意向を非常に重視していました。非常に誤解されやすいのですが、戦国大名とは、戦争を行う国家として戦争だけを目的に誕生した存在ではありません。もちろん、戦国大名誕生の一つの背景は、応仁の乱などによって中央政権たる室町幕府の統制力が崩壊し、全国的に戦乱の時代へと移行していったことがあります。戦争が多発する時代を生き抜くには、強力な軍隊が必要となります。そこで、身近に存在する強い権力者のもとに領主階層が結集し、戦乱への対処を図りました。これが戦国大名誕生の一つの側面です。ですが、これでは戦国大名誕生の理由としては不十分です。

 もうひとつ戦国大名誕生の背景として考えなければならないのが、この時代には領主同士のトラブルが多発していったという点です。こういったトラブルは、室町時代において、近隣の領主同士の話し合いで解決することが基本でした。その際にはしばしば中人が登場します。


●家臣があってこそ大名が存在できる


 ところが、戦国時代は地球全体が寒冷化していたなど、気候変動が非常に激しい時代でした。これ自体が戦争の原因にもなり得るのですが、気候の悪化と戦乱は、農作物の収穫や流通にも大きな影響を与えました。その結果、トラブルが深刻化かつ広域化していくという傾向を持ちました。例えば、当時「下人」と呼ばれた一種の奴隷身分の逃亡が挙げられます。彼らがかなり遠方にまで逃げてしまうことがしばしばありました。また、気候変動は不作を招きますから、村落間の用水相論などの縄張り争いも多発しました。いずれも、一...
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