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「シンパシー」に規範の根拠を求めた清朝考証学の泰斗

近代中国哲学と西洋哲学(2)清朝考証学・戴震の思想

中島隆博
東京大学東洋文化研究所 副所長 教授
情報・テキスト
戴震
性善説の「性善」には、味と同じような仕組みがある。清朝考証学の泰斗と呼ばれた戴震はそう主張した。それは一体どのようなことなのか。東京大学東洋文化研究所教授・中島隆博氏が洋の東西を渡り歩くシリーズ「近代中国哲学と西洋哲学」第2回。
時間:21:55
収録日:2014/12/19
追加日:2015/06/29
≪全文≫

●清朝考証学の泰斗、戴震を取り上げる


 皆さん、こんにちは。今回は、明の思想が提出した問題に、次の清の時代がどう答えたか、その一端を見ていきたいと思います。今回取り上げるのは戴震(たいしん)という思想家です。彼は、清朝考証学の巨人、泰斗と呼ばれています。

 清朝考証学と聞いて、どう思われますか。考証学なので、詳細な文献学ではないか、あるいは、実証的な学問ではないかという意見もあるでしょう。もう一つ、ある種の注釈の学ではないかといった考え方もあろうかと思います。どれも考証学をある面から言い当てていますが、考証学は清朝という異民族王朝に花開いた一つの学問的な態度だったのだろうと私は考えています。

 もちろん、考証学に携わった学者はたくさんいて、それぞれ違いがありますから、十把一絡げに扱うような乱暴なことはあまりしない方がよいのですが、しかし、ここで一つの鍵になるのは、考証学が目指したのはある種の現実に接近する態度だったということです。


●漢唐訓詁の学、朱子学・陽明学の先にある


 ここで少しだけ、中国の注釈の学についてご説明します。よく「漢唐訓詁の学」と言われますが、漢とは漢の時代で、唐は唐の時代です。漢代と唐代に訓詁の学、つまり、注釈学が花開いたとしばしば言われるのです。

 どういうことかと申しますと、まず漢の時代は、その前の諸子百家が華やかだった時代に成立した、経書を含むさまざまな文献に注釈を施しました。単純に意味が分からないので説明を補った場合もありましたし、複数の経書の間にあるさまざまな齟齬や矛盾を解釈によって乗り越え、整合的な世界観をつくり上げようという努力も見られました。その結果、漢代の注釈によって中国思想の宇宙の一つが成立していったのです。これは、帝国としての漢にふさわしい事業だったと思います。

 その後、唐の時代にもう一つのピークが来ます。唐は世界帝国でしたから、その規模に見合った世界観、宇宙観を目指して、今度は漢の注釈に加え、六朝時代の仏教解釈学の手法も導入して、さらに壮大な体系をつくり上げたのです。それが中国の学問の大きな骨格を成していきました。

 先日お話しした朱子学の朱熹がチャレンジしたのは、そういった以前の中国の学問でもありました。彼は、全く新しい注釈を書くという、途方もない、ほぼ気が狂ったような企てを行ったのです。いま考えてもあり得ないことです。これまでとは違う宇宙観・世界観を、自らの筆によってありありと現実化しようとしたのです。

 ところが、いま私たちが問題にしている清代は、すでにこの朱子学、陽明学も経由した時代です。その時代の学は、一体何が可能なのでしょうか。


●ほぼ同時期に洋の東西で同じ思想が興っていた


 戴震は、朱熹を厳しく批判して、朱熹が考えた朱子学の「理」は人を殺すものであると言いました。それに代わる新しい概念を提示しなければならない。これが戴震の課題でした。理とは、非常に安定した意味、秩序、規範を支えているものです。戴震はその理を捨て去る宣言をしたのですから、規範をもう一度立て直していかなければなりません。一体どうすればよいのでしょうか。

 ちなみに、戴震と同時代、ヨーロッパには、ほとんど同い年の思想家にアダム・スミスとイマヌエル・カントがいます。そして、デイヴィッド・ヒュームは少し年上です。実は、戴震はちょうどスコットランド啓蒙主義の人々と同じように、シンパシー(共感、同感)という感情が他者に...
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