編集長が語る!講義の見どころ
教養としての禅~道元の思想がわかる!/特集&頼住光子先生【テンミニッツTV】
2022/07/15
いつもありがとうございます。テンミニッツTV編集長の川上です。
「禅」は日本人の身近にあります。「ご近所に、禅寺がある」という方も多いでしょう。日本の寺院数で、禅宗は浄土真宗に次ぐ位置にあり、曹洞宗だけで1万4000の寺院があります。
また「禅」は欧米でも大きな影響を与えていて、Apple社を創業したスティーブ・ジョブズが「禅」が大好きだったとか、禅の教えに影響されて「マインドフルネス」が生まれてきた、などといったこともいわれます。
心のどこかに、禅への興味は根強くある。しかし案外、「では、禅の教えとはどのようなものですか」と聞かれて、答えられない。そういう方も多いのではないでしょうか。
本日は、「禅」のことが、とてもよくわかる、珠玉の講座を集めた特集を紹介します。
■本日開始の特集:教養としての「禅の話」
禅とは何か。日本ではかつて武士の教養として重んじられ、現代においては海外で「ZEN」として周知された禅。いったいそこまで広く受容される理由はどこにあるのか。禅の本質に迫ります。
https://10mtv.jp/pc/feature/detail.php?id=175&referer=push_mm_feat
・頼住光子:禅の原点とは――中国から禅をもたらした道元の生涯に迫る
・桑原晃弥:禅はジョブズの哲学にどのような影響を与えたのか
・橋爪大三郎:坐禅をすればわかる――なぜ禅は武士に向いているのか
・大久保喬樹:茶の哲学のベースにある老荘思想
・高坂節三:ランケと京都学派は似ている? 西欧の「神」に替わるもの
・行徳哲男:無学祖元禅師が北条時宗に授けた教え「驀直去」とは
■講座のみどころ:日本人として知っておきたい「道元の教え」(頼住光子先生)
本日は特集のなかから、頼住光子先生(東京大学大学院人文社会系研究科・文学部倫理学研究室教授)の道元についての講義を紹介いたします。道元の教えは、難しい漢字や言い回しも多く、ついつい難しく感じてしまいますが、それを驚くほどわかりやすくご解説くださいます。
仏教の教えの核心も理解できる、素晴らしい講義です。
(「頼住」先生の「頼」の字は、正しくは旧字)
◆頼住光子:【入門】日本仏教の名僧・名著~道元編(全4話)
(1)道元の生涯と禅の歴史
禅の原点とは――中国から禅をもたらした道元の生涯に迫る
https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=4514&referer=push_mm_rcm1
頼住先生の「【入門】日本仏教の名僧・名著」は、総論から聖徳太子、最澄、空海、源信、法然、明恵、親鸞と進んできましたが、いよいよ「道元」編です。
頼住先生はまず第1話で、道元の生涯と、「禅宗」の仏教のなかでの位置づけ、さらに、なぜ武士たちが禅宗に惹かれたのか、などについてご解説くださいます。
そのうえで、第2話からは「道元の教え」の内容に迫っていきます。
最初に頼住先生がひもとくのは『正法眼蔵』の「現成公案」に書かれた次の言葉です。この言葉だけを読むと、いきなり挫折しそうですが、頼住先生はとてもわかりやすく、その意味をお示しくださいます。
《仏道をならふといふは、自己をならふ也。自己をならふというは、自己をわするるなり。自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり。万法に証せらるるといふは、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり》
さて、これをどう理解するか。頼住先生は、ここでは「自分自身のあり方がどういうものかを知ることが、仏教を学ぶうえでは不可欠なのだと、道元は説いている」といいます。
では、「自己とは何か?」。
頼住先生は、こうおっしゃいます。
《私たちは、なにか確固たるものとして「自分」というものがあって、その自分と何かの存在が関係を結ぶと考えていると思います。しかし、そうではなく、本来の自分は「万法に証せられて」ある、つまりあらゆるものとのつながりによって確かなものとされている。だから固定的な私は本当の私ではなく、忘れるべきものなのだということになるかと思います》
これは「空―縁起」の考え方だと、頼住先生は説きます。「空―縁起」については、頼住先生が「親鸞編」の講座で詳しくお話くださっています。
《「空」というと、字面から「空っぽ」「何もない」というような感じを受け、誤解されることもありますが、そうではありません。「関係の中で存在している」ということで、それ自体として存在しているのではないということです》〔親鸞編(3)〕
《自分というのは、他者との関係の中で常に移り変わっていくという捉え方になってくると思います。また、「縁起」というのは、まさに「関係の中で起こってくる」ということです。人間もそうだし、あらゆるものが「関係的な存在」だということを、「空-縁起」という言葉は示しています》〔親鸞編(3)〕
つまり、「空」とは「からっぽ」とか「ない」ということではなく、自分というものはいろいろな関係性の中にあるものであって、明確で絶対的な自己というのは実はないのだということです。
それを前提として考えた場合、先の道元の引用の最後にある「万法に証せらるるといふは、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり」とは、どういう意味か。
《「身心脱落」は、自分の身も心も執着がなくなって、非常に自由な解脱の境地に達することを指します。私たちが「自分」というものに固執しているかぎり、そういう「身心脱落」には至らない。自分というものを手放し、あらゆるものとの関係性の中にあって、今、ここにこうしている自分を見極める。それによって初めて、自分の身や心に対する執着がなくなって解脱できるということを、道元はここでいおうとしていると思われます》
さらに頼住先生は、「修証一等」(=悟りを開くために修行するのは、本質的にありえない)や、「四摂法」(自他一如で、執着を捨てる考え方)などの道元の考え方についても、詳しくご解説くださいます。それについては、ぜひ講座の第3話、第4話をご参照ください。
このように読んでいくと、やや難しく感じられてしまうかもしれませんが、頼住先生のお話を聞き、講義テキストを読んでいくと、不思議とストンと「仏教の本質」が理解できるようになります。ぜひご覧ください。
(※アドレス再掲)
◆特集:教養としての「禅の話」
https://10mtv.jp/pc/feature/detail.php?id=175&referer=push_mm_feat
◆◆頼住光子:【入門】日本仏教の名僧・名著~道元編(1)
https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=4514&referer=push_mm_rcm2
※頼住光子先生の「頼」は、実際は旧字体(件名、本文いずれも)
※高坂節三先生の「高」は、実際は「はしご高」
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レッツビギン! 穴埋め問題
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今回は日本文化における「忍者」についての問題です。ではレッツビギン。
「忍者」(にんじゃ)は、戦後定着してくる言葉です。古文書にも忍者という言葉は出てくるんですが、読み方としては( )と考えられているんです。だから、「忍者」と書いて「にんじゃ」と読むようになったのは戦後になってからということになります。
さて( )には何が入るでしょう。答えは以下にてご確認ください。
https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=3154&referer=push_mm_quiz
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編集後記
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皆さま、今回のメルマガ、いかがでしたか。編集部の加藤です。
さて本日から始まった〈教養としての「禅の話」〉特集、ラインナップされた講義は興味深い話ばかりですので、ぜひ各話を視聴して、その中身を味わっていただきたいと思います。
実は禅には、テンミニッツTVではまだ取り上げていないのですが、興味深く学びになる話が山ほどあります。例えば、樋口一葉の「一葉」という名前は蘆葉達磨の逸話がもとになっているのではという話や、十牛図なども有名ですし、それこそ挙げればきりがありません。
ということで、禅については皆さまからの要望も多く寄せられておりますので、今後も新たな収録も含めいろいろと取り上げていきたいと考えております。ご期待ください。
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