編集長が語る!講義の見どころ
真山仁の経営学――日本の「現在地」をえぐり出す【テンミニッツTV】

2021/05/25

いつもありがとうございます。テンミニッツTV編集長の川上です。
『ハゲタカ』シリーズはじめ、数多くの作品を執筆してこられた真山仁先生の小説をお読みになった方、あるいは真山仁先生の小説が原作となったドラマや映画をご覧になった方は、たくさんいらっしゃると思います。テンミニッツTVでは現在、真山先生に「小説論」「社会論」「経営論」の3つの講義をお話しいただいていますが、今日は「経営論」をご紹介します。

それにしても、自ら取材を重ね、一冊の本のなかに世界を構築していく作家の方の「言葉の力」「本質をえぐり出す洞察力」は、本当に凄いものです。この講義を聴くと、そのことがしみじみと実感されます。

◆真山仁:真山仁の経営論(全3話)
(1)日本企業が成長力を失った理由
日本企業は、哲学がないまま生き残ってしまった
https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=2276&referer=push_mm_rcm1

この講義で、どのようなことが話されたか。ここでは、真山先生の言葉を抜粋して、その一端をご案内したいと思います。

●個性的な企業が少なくなった原因は、1つは、創業者が成功して、そのまま今も続いている企業の数がすごく少ないこと。昔の創業者は成功すると、次は世の中の役に立たなければならない、と思うぐらいの心意気を持った人がたくさんいましたが、今はそうした経営者が本当に少なくなりました。今は会社を守れる人しか経営者になれません。それは日本の企業が官僚化していっているということです。(第1話)

●全ての面において、アメリカやヨーロッパのルールで動かされているため、日本が勝てないような仕組みになっているのではないか。一方で、もし少しでも日本が勝てるようになったりすると、アメリカにとって有利となるようにルールがどんどんと変えられていく。このような状況は、経済界がバブル崩壊以降、ある意味でGHQの統治下に戻ってしまったともいえるようなことですが、あまり皆問題にしません。(第1話)

●21世紀に入ってから顕著になりましたが、「昔より未来のほうがすごい」という感覚がなくなってきています。他方で「自分たちは成長しているのだ」という勘違いがあるので、古いものを潰すことに躊躇がありません。実際、おそらく昭和50年代ぐらいまでは、スクラップ・アンド・ビルドがうまくいったはずです。しかし現代では潰す前に、昔よりすごいものをつくる力があるのかと、一度自問自答したほうが良いと思います。(第1話)

●時代とともに社会も変化していく中、古いものを一度スクラップにすること自体は、悪いことではありません。いけないのはそれを全て否定してしまうことで、よかったことは評価し、だけど「ここは時代からずれているのではないか」と客観的に判断すべきでしょう。そうしたことが上手くできていない状況をみるにつけ、日本の企業には哲学がなかったのでは、と思います。本来、企業は哲学がなくなった段階で滅びるものなのですが、哲学をなくして生き残らせようとしているのが今の日本の企業なのでしょう。(第1話)

●高齢者の方々は本当に元気ですよね。元気だからこそ、あるいは元気であれば、むしろ若い人たちに道を譲ってほしいですね。団塊世代の人たちが皆、お金以外何もないとは言いませんが、自分たちの持っているチャンスや富、地位を、若い人に譲ることによって社会は変わるのだという自覚を持っていて欲しいのです。彼らは(学生運動の時)あれだけ社会を壊そうとした人たちなのですから、なおさらです。(第2話)

●日本の働き方改革の最大のポイントは、流動性を活性化することにあると思います。にもかかわらず、労働時間のことばかり議論しています。それよりも、まずお金を払うことからやりましょう、といいたい。(第2話)

●昭和40、50年代なら、父親が1人働けば家族が養え、家族旅行もできました。それができなくなったことが最大の問題です。働き方改革を行うのであれば、給料で月10万円、ボーナスで平均1人50万円増やすことから始めてほしいというのが、おそらく働いている側からの要望でしょう。でもそんなことは簡単にはできません。では政府は何をすれば良いのかというと、産業全体の売上を上げることを考えれば良いのです。しかし実際には、新しい産業という夢のような話ばかりして、そもそもの成長戦略が全く進んでいません。(第3話)

●企業にとって最も大きな存在である従業員の不満が起きないよう、簡単にはクビを切りませんでした。だから運命共同体的な社会をつくることができたのです。そうした状況が今は崩れてしまっている。そうであれば、働いている側の人たちの環境を改善することが、行政の本来の仕事です。つまり、国家と企業という2つの生命体が生き残るために、自身を構成している1つ1つの生き物(国民、従業員)に対して配慮してこなかった。それがバブル崩壊以降の平成30年間だったと思います。(第3話)

ここでは少しだけ抜き出しましたが、もちろん、全編にわたって非常に考えさせられる数々の言葉が発せられています。ぜひ本編をご覧いただき、「言霊の力」をご体験ください。

(※アドレス再掲)
◆真山仁:真山仁の経営論(1)
https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=2276&referer=push_mm_rcm2


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☆今週のひと言メッセージ
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「なぜ音読が重要なのか。素読が重要なのか。」

https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=852&referer=push_mm_hitokoto

「素読」とは何なのか?その学びの効果を田口佳史が解説
田口佳史(東洋思想研究者)

耳と目で読むことが大切な書物の読み方で、よく読み、よく見ることを「明」、よく聞くことを「聡」と言い、これをしっかりと訓練した人間が「聡明」な人間になったのです。素読はその訓練にもなったわけです。

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今週の人気講義
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100年前の「米騒動」に学ぶコロナ問題の捉え方
楠木建(一橋大学大学院 経営管理研究科 国際企業戦略専攻 教授)
https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=3930&referer=push_mm_rank

対中国の「ルビコン川を渡った」ことを示した日米首脳会談
中西輝政(京都大学名誉教授)
https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=4033&referer=push_mm_rank

シンパシーとエンパシーの違いと「教養」について考える
津崎良典(筑波大学人文社会系准教授)
五十嵐沙千子(筑波大学人文社会科学研究科准教授)
https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=3989&referer=push_mm_rank

ディープテックのシンボルとして自動運転の民主化を目指す
加藤真平(東京大学大学院情報理工学系研究科 准教授)
https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=3951&referer=push_mm_rank

認知機能の改善に必要なのは脳トレではなく有酸素運動
川合伸幸(名古屋大学大学院情報学研究科教授)
https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=3906&referer=push_mm_rank


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編集後記
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編集部の加藤です。今回のメルマガ、いかがでしたか。

さて明日5月26日は今年最大の満月で「スーパームーン」だそうです。晴れていれば全国的に見ることができるとのことで、明日の夜、空を見上げてその様子を眺めている人を多く見かけるのではないでしょうか。

今回は月のことが出てくる紫式部の歌(和歌)についての講義をご紹介いたします。

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「めぐりあひて
見しやそれとも わかぬまに
雲隠れにし 夜半の月かな」

紫式部が友を思う気持ちを縁語に託して詠んだ歌
渡部泰明(東京大学大学院人文社会系研究科教授)
https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=3182&referer=push_mm_edt

紫式部が幼なじみの友だちと会ったのですね。女性なのですが、「たまたま会った。ところが忙しくていろいろ用事があってすぐにその人は帰ってしまった。残念、もっとゆっくりお話がしたかったのに」という気持ちを歌に表したのです。
「めぐりあひて」というのは、「あなたにめぐりあって見たのはそれだったのかというふうに、はっきりとは分からない間に夜半の月は雲隠れしてしまった」。つまり、ちょっと見た、「あれは月だったのかな。月じゃないのかな」と、どっちか分からない間にもう雲隠れしてしまった。あなたもせっかく久しぶりに会えたのに、もっとゆっくり「ああ、あなただなあ」と確認する間もなく、あなたはお帰りになってしまいましたね。とても残念でした。という、会えた喜びと十分に話ができなかった寂しさと、その両方をこの歌に込めたわけです。
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時代や環境は当時とまったく違いますが、いまコロナ禍でなかなか簡単に友人に会いにいけない状況が続いていることから思いをめぐらせると、「たまたま」でも会えたというのはとても嬉しいことだろうと感じます。
と同時に、「あれは月だったのかな。月じゃないのかな」と、どっちか分からない間に雲隠れしてしまったというのも非常に残念なことだったでしょう。なんとも切ない歌ですね。
明日の夜は、千年以上前につくられたこの紫式部の歌に思いをはせながら、スーパームーンをじっくりと堪能できることを願っております。