編集長が語る!講義の見どころ
戦後80年の「8月15日」に考えるべきこと/特集【テンミニッツ・アカデミー】
2025/08/15
いつもありがとうございます。テンミニッツ・アカデミー編集長の川上達史です。
今日は8月15日。先の大戦の敗北から80年目です。やはり80年目の今日は、あの戦争について、しっかりと想いを致すべき日であるようにも思います。
この8月1日にも「戦後80年に考えるべきこと」特集を紹介いたしましたが、あらためて、その特集の講義をご案内いたします。
ぜひお目に留まった講義をご覧いただければ幸いです。
■特集:戦後80年に考えるべきこと
https://10mtv.jp/pc/feature/detail.php?id=267&referer=push_mm_feat
門田隆将:奇跡の史実…硫黄島の戦いと「ルーズベルトに与ふる書」
中西輝政:日英同盟の廃棄、総力戦…世界秩序の激変に翻弄された日本
渡部昇一:ワシントン会議から10年、こんなに日本が不利になるとは
片山杜秀:現代の「担当大臣」の是非は戦前の「無任所大臣」でわかる
福井義孝:レーニン演説…革命のため帝国主義の3つの対立を利用せよ
橋爪大三郎:核保有する国連常任理事国は、むしろ安心して戦争できる
小澤俊夫:満洲で「五族協和」に命を懸けた小澤征爾の父・小澤開作
■講義のみどころ:特集から「3つの講義」をピックアップして紹介します
【あの時、激戦の硫黄島で、先人たちは何を想い、いかに行動したのか?】
◆門田隆将:大統領に告ぐ…硫黄島からの手紙の真実(全4話)
(1)ルーズベルトに与ふる書
奇跡の史実…硫黄島の戦いと「ルーズベルトに与ふる書」
https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=5904&referer=push_mm_rcm1
おかげさまで、現在、数多くの方にご覧いただいている講義です。やはり、そのとき、その場にいた方々が何を考え、何を訴えようとしたのかを知ることは、この戦後80年の日に重要なことではないでしょうか。
太平洋での死闘を象徴する地ともなった硫黄島――。その戦いのなかで、実は硫黄島守備隊の日本海軍を率いた市丸利之助少将が、アメリカのルーズベルト大統領宛に日本人の想いを熱く訴える手紙(ルーズベルトに与ふる書)を書いた史実がありました。
しかも、当時20歳だったハワイ生れたの日系二世・三上弘文がそれを翻訳します。「日米の懸け橋になる」ことを夢見ていた20歳の青年は、アメリカ人にまっすぐに伝わるよう精魂傾けて訳していきました。
その手紙を、通信参謀・村上治重が、自らの戦死を前提に、日本語と英語の手紙をそれぞれ腹に巻いて突撃。戦死した日本兵の所持品検分をする米軍の手に届けるのです。
そして、その事実をつかんだ『ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン紙』のエメット・クロージャ―記者が、4月4日にその内容を詳しく記した記事を打電。あまりの内容に3カ月間検閲で止められますが、まだ戦争が続いていた7月11日にAP電で配信され、世界中で報じられることになるのです。
なぜ、そのような奇跡のようなことが起きたのか。それは、「ルーズベルトに与ふる書」がアメリカの指導者に日本人の想いを高らかに宣明する書であると同時に、共に死にゆく仲間たちに「何のためにわれわれは死ぬのか」を語りかける書でもあったからでしょう。
そこに書かれていたこととは。そして、それぞれの人物の人間模様とは――。硫黄島の戦いの史実が、いまわれわれに訴えかけるのは、どのようなことなのでしょうか。
【日本はいかにして戦争に突き進んだのか】
◆中西輝政:戦前、陸軍は歴史をどう動かしたか(全7話)
(1)総力戦時代の到来
日英同盟の廃棄、総力戦…世界秩序の激変に翻弄された日本
https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=4566&referer=push_mm_rcm2
中西輝政先生はまず第1話で、あの悲劇の戦争に至る大きな動因は、当時が世界史の大変動期だったことだと強調されます。
これはまさに、戦後の国際秩序が激変しつつある現在とも重なる話です。日本の安全保障の危機が再び高まりつつある「いま」だからこそ、日本がなぜ、あのような戦争に突入してしまったのかについて、深く考えるべきではないでしょうか。
中西先生はこれまでの「昭和史理解」は大きく誤っており、それでは日本が戦争への道を歩んでしまった本当の理由もわからないとおっしゃいます。はたして、どのようなことなのでしょうか。
よく、「陸軍が暴走をして、日本を戦争の道に進ませた」といわれます。しかし、考えてみれば、このように「大ぐくり」に説明してしまうと、結局のところ、何もいっていないのと同じです。
当然、陸軍のなかにも、いろいろな考え方がありました。また、戦争に突入するまでに、いくつもの分かれ道もありました。
中西先生は、そこに鋭くメスを入れてくださいます。だからこそ、世界的な危機が高まり、日本の判断が問われる局面において、道を誤らないための教訓がくみ取れるのです。
いまだからこそ、必見の講義です。
【小澤征爾さんの父が満州事変で考えたこと】
◆小澤俊夫:小澤開作と満洲事変・日中戦争(全10話)
(1)少年時代の苦労と五族協和の夢
満洲で「五族協和」に命を懸けた小澤征爾の父・小澤開作
https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=3606&referer=push_mm_rcm3
昨年ご逝去された小澤征爾さんの「征爾」の字が、満洲事変を主導した板垣征四郎と石原莞爾の名前から取られていることをご存じの方もいらっしゃるかもしれません。
実は小澤征爾さんの父・小澤開作さんは、満洲事変で「満洲青年連盟」の一員として活躍し、満洲事変において大きな役割を果たしていた人物でした。そしてその活動は、当時の日本人の心意気や理想を体現したものでもありました。
この講義は、その小澤開作さんについて、小澤征爾さんの兄・小澤俊夫先生が熱く語ってくださったものです。
小澤開作さんはじめ満洲青年連盟のメンバーたちは「民族協和」という理想を真剣に掲げ、満洲に住まうすべての人々のための独立国を建国すべく奔走。「満洲国協和会」の結成に至ります。しかし、権益主義的な軍官僚や経済官僚が満洲の地にやってきて、その理想は挫折していくことになるのです。
「満洲事変は日本の侵略」。そう言い切ってしまうと、歴史の大事な教訓を見失いかねません。当時、満洲をめぐる情勢はまことに複雑であり、さらに日本のご都合主義的な政策や、いわゆる「軟弱外交」が大きく影を落していたからです。加えて、そこに諸外国の思惑も絡まり……。
その後も、戦時下の中国大陸や日本で懸命に活動を続けてきた小澤開作さんは、敗戦の日に、子供たちに「日本人は長いこと涙を忘れてきた。これで涙を知ることはいいことだ」と語ったといいます。その言葉の真意とは。
80年前に生きていた日本人たちの想いを知ることができる講義です。
(※アドレス再掲)
◆特集:戦後80年に考えるべきこと
https://10mtv.jp/pc/feature/detail.php?id=267&referer=push_mm_feat
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テンミニッツ・アカデミー編集部