編集長が語る!講義の見どころ
文革60周年に「デジタル全体主義」の危機を考える/中島隆博先生【テンミニッツ・アカデミー】

2026/05/04

いつもありがとうございます。テンミニッツ・アカデミー編集長の川上達史です。

中華人民共和国で「プロレタリア文化大革命(文革)」が始まったとされるのが、1966年5月。ちょうど今月は、文革開始から60年目ということになります。

文革は、毛沢東が劉少奇国家主席らを追い落とすための奪権闘争だったともいわれます。

1958年からの「大躍進政策」が数千万人の餓死者を出す大失敗となり、毛沢東はその責任をとって国家主席を退いて実質的な権力を失います。その後任となり、混乱困窮した国内を立て直そうとしたのが劉少奇でした。

しかし、劉少奇の政策が気に食わない毛沢東は「文化大革命」を呼号して民衆を駆り立て、劉少奇らを「走資派(資本主義に走る革命の敵)」と規定して、その打倒を目論んだのです。

文革は、中国全土を騒乱状態に陥れました。1976年10月に文革を主導していた四人組(江青、張春橋、姚文元、王洪文)が逮捕され、翌年1977年に終結宣言が出されるまでの10年余にわたって続きますが、この間、数百万人から二千万人が死亡したといわれます。

しかし、凄惨な実態を無視して美化された「造反有理」のプロパガンダは、欧米や日本の数多の思想家の心をも掴み、全世界で学生運動が吹き荒れる一つの大きなきっかけともなりました。

そんな余波をも生んだとはいえ、結局のところ、文革も全体主義の悲劇の一種であることは言を俟ちません。

さて、現代において、かつてのナチズムやスターリニズム、あるいはこの文革に続く全体主義的悲劇が起きる危険性はないのか。もしかすると、新しいかたちで進行しているのではないか――。

それが「デジタル全体主義」への懸念です。はたして、どのようなことなのか。

本日は、デジタル全体主義についての、中島隆博先生(東京大学東洋文化研究所教授)の講座を紹介します。中島先生は、ドイツの哲学者のマルクス・ガブリエルとの対談で『全体主義の克服』(集英社新書)という書籍を発刊されています。その内容をふまえて、この課題をわかりやすく語ってくださいました。

◆中島隆博先生:デジタル全体主義を哲学的に考える(全7話)
(1)デジタル全体主義とは何か
20世紀型の全体主義とは異なる「デジタル全体主義」とは
https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=4241&referer=push_mm_rcm1

デジタル全体主義とは何か? 

たとえば20世紀型の全体主義の場合、政府は特殊警察などを使ったり、密告を奨励したりして、人びとの頭のなかの思想をつかもうと大変な努力をしました。

ところが21世紀になってくると、むしろ人びとの側が、たとえばグーグルでの検索や、フェイスブックなどのSNSに自発的に情報を上げます。そして、そのデータがビッグデータとして使われて、社会として全体主義的になっていくのです。

逆にいえば、自発的に自分をさらけ出し、「私を正しく監視してほしい」というような社会になってしまっています。

ユヴァル・ノア・ハラリは、著書『ホモ・デウス』で「無用者階級ができてくる」といいました。要するに、AIの発達により、エリートが情報を全て握り、ビッグデータを活用して、社会を設計主義的に回していく。他の人たちはただ無用な階級になるというのです。これは悪い言葉でいえば「上級国民・下級国民」の二分化のという議論にも通じるでしょう。

中島先生は、ハラリの「無用者階級」という言葉は、マルクス的な「無産者階級」に対比されたものだと指摘します。

マルクスは、無産者階級は疎外されているので、きちんと共産主義社会で資本の共有化ができれば、人間的に生きられるはずだと考えました。しかし、ハラリが描く無用者階級は、もうそれもできない。つまり、何の大義で団結すれば良いのかわからないので、団結のしようがない。自分の望みもよくわからない。だが一方で、住むことや、食べることには必ずしも不自由しない。「AIが働くようになるので、労働することすらもう必要がなくなる」とハラリは書いているのです。

実際に、ご著書『全体主義の克服』のなかで、アメリカの中流階級の崩壊について、興味深い事例が挙げられています。ニューヨーク、ボストン、サンフランシスコやロサンゼルスなどで、両親と子ども2人の4人家族で住もうとすると、少なくとも年間40万ドルの収入が必要な社会になってしまった。それ以外の町だと、食べるには困らないが、快適さも刺激もなく、マクドナルドがあるかどうかくらいだというのです。

新型コロナがあぶり出したのは、たとえば格差や貧困、差別、あるいは大量消費型の社会など、これまでずっと問題だったものに対して手当てができていない現実だったと、中島先生はおっしゃいます。

では現在、デジタル全体主義が進んでいるなかで、今後、哲学的にはどういう道を切り開いていくべきなのか。

実は20世紀的な全体主義(共産主義、ナチズム)も、そのような諸問題の解決のために主張されたものでした。しかし、そのような全体主義が解決をもたらさないことは、いまや明らかです。

ここで中島先生は、「デモクラシーを鍛え直すこと」や「『人の資本主義』を確立すること」の必要性を挙げられます。

たとえば資本主義について中島先生は、その基本は「時間を支配する形式」だと喝破されます。

象徴的には、投資をして回収していく仕組みです。しかし、いまや1パーセントの超々富裕層に莫大な資金が集まっていて、古典的な意味での投資をしなくてもお金が集まってしまう。これは資本主義の基本的な構造から外れてしまっているとおっしゃいます。

モノの飽和を受けて、いま「モノ消費から、コト消費へ」といわれます。「体験や出来事を売り物にする」ことですが、しかしコト消費も、だいたいがパッケージ化されて、プログラミング化されたコトにすぎません。そうではなく、「人が生きていくための生の条件を豊かにする方向」に資本主義が向かっていけないか。

中島先生は、禅寺で座禅の師匠が導いてくれたり、欧州の修道院で人格を高めたりするようなあり方は参考になるのではないかとおっしゃいます。

さらに中島先生は、中華人民共和国的な全体主義のあり方について、「スコアリングと功過格の問題」「ルソーの一般意志と、トクヴィルのデモクラシー論の対比」など、興味深い議論を進めます。

また、東洋の哲学で「普遍になりそう」なものとして、『論語』の「仁」という概念や、あるいは「道」の思想があるのではないかと指摘されます。加えて、中国の老荘思想家の王弼(おうひつ)の無の思想や、仏教の空縁起にも話が及びます。

それぞれどのような内容かは、ぜひ講座本編をご覧ください。

とにかく中島先生が強調されるのは、「多様性」、そして「現在の資本主義とは別の柱も立てること」です。新しい社会のあるべき姿とその可能性、そしてその哲学的背景を、自分自身でも縦横無尽に思索することができる講座です。


(※アドレス再掲)

◆中島隆博先生:デジタル全体主義を哲学的に考える(1)
https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=4241&referer=push_mm_rcm2


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