近藤勇が宗家四代目となった天然理心流の道場にはどんな面々が集っていたのだろうか。沖田総司、井上源三郎、山南敬助、永倉新八、藤堂平助、斎藤一など、のちに新撰組の主要隊士となるメンバーについて見ていく。だが、近藤勇の道場には、新撰組十番隊組長となる原田左之助はいなかった可能性も高いという。なぜなのか。また近藤勇の道場は“試衛館”といわれるが、実はその名称も……。さらに、新撰組の羽織や「誠」の旗でわかっている史実とは。史料をひも解きながら、新撰組の真相について再考する。(全9話中第6話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツ・アカデミー編集長)
≪全文≫
●原田左之助は“試衛館メンバー”ではなかった?
―― ということで、ここからはいわゆる“試衛館”のメンバーのお話ということで、召し物も、こういう形で加えてまいりたいと思います。
この“試衛館”という名前なのですが、なぜ今まで堀口さんは「いわゆる」と付けておられたか。そのあたり、どうしてなのですか。
堀口 松下さんは一度も“試衛館”とはおっしゃられなかったと思うのです。
松下 私は「近藤のところ」とか「近藤の道場」という言い方をしていて、実は一度も“試衛館”という言葉を使っていないのです。
―― なぜなのですか。
堀口 “試衛館”という言葉は当時使われた記録はないのですよね。
松下 江戸時代、明治の初めぐらいまでの記録ですと、「試衛」という言葉、ないしは場所の場と書いて「試衛場(しえいじょう)」という言葉は出てくるのですけれど、“試衛館”という3文字は出てこないのです。ですので、近藤勇の道場は「試衛」ないしは「試衛場」という名前が付いていた可能性が高いのですけれど、“試衛館”という名前ではないらしいということです。
ただ、では誰が“試衛館”と最初に言い出したのかというと、それは分からないのです。いつの間にか使われるようになっているのです。
―― なるほど。そういう名前からしてイメージが変わってきてしまう話ではあるわけですが、では、そこにもともといたといわれる新撰組のメンバーも、実はいろいろ違うのではないかというところがあります。そのあたりの話をぜひ伺っていきたいと思います。
堀口さんにお聞きしたいのですが、新撰組に参加した“試衛館”のメンバーで有名どころというと、一般的にどういうところになるのですか。
堀口 この界隈でいいますと、近藤勇、土方歳三、沖田総司、そして井上源三郎です。江戸の“試衛館”にいたメンバーとして有名なところだと永倉新八です。山南敬助もメンバーではあったと思います。その他ですと、藤堂平助も一応いたといえるでしょうか。
それ以外ですと、私は原田左之助はいたと思っているのですけれど、このあたりはいかがでしょうか。
松下 そうですね。当時の記録といいますか、永倉新八が明治時代の初めに著したといわれている『浪士文久報国記事』という本があるのです。書き間違い、記憶違い、いろいろあるのですけれど、ここに近藤勇の道場に集った仲間たちの一覧があります...