新撰組といえば、もちろん剣術のイメージが強いが、そもそも剣術は江戸時代においてどのような意味を持つものだったのだろうか。江戸には当時、剣術道場が400個以上あったといわれている。そこには「三大流派」といわれる北辰一刀流・神道無念流・鏡新明智流の道場や、近藤勇がいた天然理心流の道場もあったが、実はこうした道場には剣術稽古以外の別の役割も帯びていた。さらにいえば、天然理心流は「百姓剣術」的にいわれることも多いが、実は「三大流派」のうちの2つは道場主が武士ではなかった。それを考えれば、天然理心流を「百姓剣術」的に語る風潮は的外れといわざるをえないのだ。知れば知るほどおもしろい江戸の剣術道場について深掘りする。(全9話中第5話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツ・アカデミー編集長)
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●剣術道場はなぜ人気だったのか…担っていた役割とは?
―― では続きまして、当時の剣術がどういうものだったのかということでお聞きしたいと思うのですが、当然、新撰組の場合には、今までもお話のあったように、天然理心流というものがあって、その他に、いわゆる有名な流派、三大流派等との対比でドラマ上は描かれたりすることも多い。
そもそも、その幕末の時期に剣術というのはどういう位置にあったのかということ、また新撰組的な百姓剣術のような言われ方をすることもありますけれど、それが実際どうだったのかということを、ここでまとめてお話を伺えればと思います。
堀口さん、いわゆる天然理心流と、三大流派というのでしょうか、その対比はどう見ておられますか。
堀口 よく三大流派といわれるのが、北辰一刀流と神道無念流と鏡新明智流だと思うのですけれど、このあたりが流行りました。特に北辰一刀流はすごく端的に申し上げますと、非常にコスパとタイパがいい流派だったと思います。
―― コスパとタイパがいい、(つまり)コストパフォーマンスとタイムパフォーマンス(がいいと)。
堀口 おっしゃる通りです。合理的な流派だったので、非常に隆盛したと考えられるわけです。というのも、例えば剣術であれば免許をいただくことになりますけれど、その免許をいただくまでの段階が(通常の道場だと)非常に長くて何段階もあるというところを、北辰一刀流では3段階ぐらいにして、しかも免許をいただくときにかかる費用も抑えられたということになったのです。
「気軽に」という言い方が適切かどうか分からないですけれど、例えば天然理心流であれば、だいたい入門してから免許をいただくまでに、井上源三郎だと10年ぐらいかかったわけです。それを圧縮して、ある程度で免許をいただけるということになると、じゃあやってみようということで、(道場が)できやすい。
また、剣術が武士のものだけでは必ずしもなくて、前回の講義のときにお話ししたように、農村部での自衛意識も高まりましたし、道場という空間にいろいろな身分の人たちが集まって、一種のサロン的役割を果たすようになっていったわけなのです。特に世の中が不安定になると、政治サロンとして果たす役割が非常に大きかったので、そこに人が集まって、剣術が隆盛して、という循環に入っていったのだろうと思います。
●三...