●変化してきた「皇室のかたち」をさかのぼる
―― 皆様、こんにちは。本日は片山杜秀先生に「天皇と日本史」というテーマでお話をいただきたいと思っております。片山先生、どうぞよろしくお願いいたします。
片山 よろしくお願いいたします。
―― このテーマを立てた大きな理由としては、眞子内親王様(現・小室眞子さん)のご成婚にあたり、かなり誹謗中傷といわれるような批判が、これまででは考えられないようなかたちで集まるなど、皇室のかたちなり、天皇と国民の関係なりが少し変わりつつあるのではないかという、この時代的な雰囲気のなかで考えたことがあります。
とはいえ、天皇と皇室の姿というものが、歴史とともに大きく移り変わってきています。直近で見ても、もちろん江戸期の天皇のあり方と明治期の天皇のあり方は全く違いますし、さらに第二次世界大戦を挟んで、その前と後で全く違う皇室像になっているというように、非常に大きな変化が繰り返されました。
やはり日本にとっては、天皇のあり方なり、国のかたちのあり方が、日本史を見ていくうえで非常に重要です。また、それを見ていくことで、今後の行く先なども見通せるのではないでしょうか。ぜひ、このテーマでお話をいただければというふうに思います。
片山 はい。
―― どちらかというと今回の講義は「さかのぼり式」といいますか、現代から始めて、「こうなったのは、こうだったから」ということで、少しさかのぼっていくイメージでお話をおうかがいできればと思っております。
まず、日本が第二次世界大戦に負けた後、新しい皇室像ができてまいりました。今、それがどう変わりつつあるのか、ないし戦後の皇室像に、もし変化が求められているとしたら、それはなぜなのかという点をお聞きしたいのですが、片山先生は、いかがお考えでいらっしゃいますか。
●昭和天皇の「ご聖断」と「新日本建設に関する詔書」
片山 そうですね。戦後の皇室は、一番簡単には、1946年の元日の、いわゆる昭和天皇の「人間宣言」から始まったという言い方をしてもいいと思います。
―― いわゆる「新日本建設に関する詔書」というものですね。
片山 もちろん、その前段としては1945年8月の「ご聖断」がありました。「ご聖断」は国民の前で行われたわけではなく、ある種、密室の「御前会議」で行われたことだけれども、その後、「今度の戦争をやめるということは、天皇陛下自らが非常に人間的に苦しまれてご決断なさったことなのだ」ということは、広く伝わってきます。それこそ当時、鈴木貫太郎内閣の下村(宏)情報局総裁などが、「天皇陛下のおかげで無事日本は戦争を終わらせることができました」というかたちのメッセージを色々と発していく。
天皇が、それまでの「神秘のベールに包まれた『現人神』」的な天皇( が、変化するわけです)。もちろん戦争を始めたときなど、いろいろな機会に天皇陛下の詔書は出てくる。でも、もちろん国民が天皇のお姿を目にするのは、陸軍大演習などの場合、遠くから拝めるかどうかという機会に限られていました。ラジオに出てくることもなければ、基本的にはお出ましになることもなかったからです。
普段は本当に遠いところにいらっしゃって、ご真影が飾られている。そのような世界であった人が、急に、敗戦のところから前に現れるようになるわけです。
原爆が落ちて、戦争は非常に悲惨な状況になってしまい、東京も焼け野原になったりしてしまった。天皇は非常に深い思いをいたされ、国民にこれ以上の苦労をさせたくないと思われた。国家の行方、民族の存亡が懸かってくるようなときに、「これ以上は(戦争は)できないのだ」というご判断をなさる、非常に人間らしい天皇陛下ということにもなってくるわけです。
●GHQの「神道指令」へのカウンターとして
片山 もちろん「現人神」としての、明治憲法体制が保障するかたちでの天皇というものは、普通の人間ではない特別なものでした。だからこそ国民は天皇の臣民になって、国家が天皇の下で束ねられるのだという理屈は、戦後ももちろん生きている。
この理屈がどうなるかは、話が少し細かくなります。1945年に日本が戦争に負けた後、連合軍に占領されて、事実上アメリカの一国占領となり、GHQがその年の暮れに「神道指令 」というものを出してくる。これは簡単にいうと政教分離で、「政治と宗教というものは一切切れていなくてはいけない」ということです。
とくにアメリカなど日本と戦争をしていた国々から見れば、日本人が「玉砕」や「体当たり攻撃」など、普通の近代人なら「ここまでやるのだったら降伏してしまおう」と思うところを、思わないで命を捧げられるのは、日本の国民が特別な宗教的価値観を持っているからに違いない(と映った)。「天皇陛下万歳...