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戦後の「人間天皇」と「開かれた皇室」がもたらす悲劇

天皇のあり方と近代日本(2)「開かれた皇室」の大問題

片山杜秀
慶應義塾大学法学部教授/音楽評論家
概要・テキスト
戦後の皇室には「普通の国民と同じような生活感覚」や「家族の情愛」が求められた。「人間と人間」の関係が求められ、とりわけご結婚がその点から注目を集めた。だが、眞子内親王のご成婚が支持されなかったのはなぜか。そこには大きな時代状況の変化と、国民意識の転換、そして皇室の危機がある。とくに皇族の数が減っていること、そして「開かれた皇室」が「監視され、見世物にされる皇室」になってしまっていることが、大きな問題を引き起こしつつある。(全7話中第2話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
時間:13:48
収録日:2021/11/02
追加日:2021/12/23
タグ:
≪全文≫

●人間天皇に求められる「人間」としてのあり方とは?


片山 ただそのなかで、話が戻りますけれども、人間天皇であるということは、「普通の国民と同じような生活感覚」とか「家族の情愛」とか(いうことが求められていくようになる)。「天皇は皇族だから特別なしきたりがあって」などということでなく、「普通の戦後の平民の家庭と同じようなパパ、ママ、お子さん、おじいちゃん、おばあちゃんである」といったような感覚は、戦後の『皇室アルバム』的なテレビ番組が作ってきたイメージだと思います。

 あくまでも、「雲の上の人」とか「特別な人」とか「戦後憲法で民主的だとかいいながら、やっぱり特別な暮らしをしているのだ」というふうに思われないような方向です。「人間的に普通の国民」で、「愛も恋も、好きなことや趣味なども、普通の人間と同じようにしたい」「仕事もしたい」「生きたいように生きたい」という思いがあるのが「人間だから」という、そういう人間天皇のありようや、非常に人間的にふるまう皇族のありようです。

 国民となるべくフラットでつきあって、同じようなところで信頼関係を築いていくのだとすると、「天皇というものは、特別な宗教儀礼の主宰者で」とか「司祭で」とか「いや、神様みたいなもので」とか「大神主で」とかいう話では、やはり困るわけです。

 戦後の皇室については、昭和天皇はもうすでに1945年までの「神様」としての性格を背負っておられて、それを拭えない方でもありました。ただ、それを拭おうとして、背広姿でフランクに「やぁ」などといわれる。あの感じが、「あの現人神だった昭和天皇も、人間らしくおふるまいになるのだな」と思われて親しみが増す。

 それでもやはり人間とは少し違う歴史的な重みがあり、それが大好きな人もいれば、「だから、けしからん」という人もいた。これが昭和天皇にずっとつきまとっていたイメージだと思います。

 お子さまである平成の天皇陛下(令和の上皇陛下)という代になると、もちろん昭和8年生まれでいらっしゃるから戦前戦中の時代もご承知で、しかし、やはり戦後にアメリカ人の家庭教師なども付いて教育を受けた人であって、そういうなかで戦後的な価値観というものを新しく体現する。即位されるときには当然、もう戦後もだいぶ経って、昭和天皇の後なのだというかたちでずっと育って、パフォーマンスもなさってきた方...
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