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「昭和の妖怪」岸信介の知られざる実像を検証する

岸信介と日本の戦前・戦後(1)毀誉褒貶相半ばする政治家

井上正也
慶應義塾大学法学部教授
情報・テキスト
岸信介
出典:Wikimedia Commons
戦後、A級戦犯容疑者として獄中生活を送ったのち、政界復帰からわずか4年で内閣総理大臣にまで上り詰めた岸信介。戦前と戦後を跨いだその激動の政治家人生は、どのようなものだったのか。晩年になって「昭和の妖怪」といわれた岸、その評価は二分され、毀誉褒貶が相半ばする政治家というイメージだが、その実体についてはまだ分かっていない部分が多いのではないだろうか。単なる保守ではない、岸の思想の背景には、東京帝大在籍時に影響を受けた二人の人物の思想があった。(全7話中第1話)
時間:17:01
収録日:2022/09/02
追加日:2023/02/18
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≪全文≫

●「昭和の妖怪」岸信介の実体を明らかにする必要がある


 今日お話しさせていただくのは、「岸信介における戦前と戦後」というテーマです。岸信介という人を考える上で非常に重要なのは、その評価が二分されていることです。非常に毀誉褒貶が相半ばする政治家というのは、これは今も昔も変わらないのだと思います。

 一般に岸というと、1960年の安保闘争というもののイメージが非常に強いと思うのです。その安保闘争もわりとネガティブなイメージを、ある世代以上の日本人は抱いています。というのも、そもそも戦前、太平洋戦争が始まる時に開戦の詔書に署名をしました。つまり岸は商工大臣として、閣僚として東條英機内閣に加わっていたわけです。戦後はA級戦犯に指名されて、約3年間獄中にいました。釈放された後で政界に復帰するのですけれども、その後で自民党の初代の幹事長などを経て、政界復帰からわずか4年あまりで総理大臣になったわけです。

 ただ、この岸という政治家は、非常に戦前の暗い影を引きずっているのだということで、日米安全保障条約を改定しようとなった時に国民から強い反発を生みました。決定的だったのは、改定された安保条約を国会で通す時に強行採決をしたことで、ある種、戦後民主主義の敵のように描かれてきました。そう評価されてきたのです。

 首相を辞めた後も、反共主義であるとか、憲法の改正を主張して政界に非常に強い影響力を残しました。どちらかといえば保守政界、保守の右派の中の奥の院として君臨したというイメージが強いわけです。

 今日でも、安倍晋三元首相の暗殺でクローズアップされている自民党と統一教会の関係を見ても、やはり元をたどると岸と国際勝共連合との関わりが源流にあるのだという指摘がよくいわれます。

 そう考えると、岸という人はどちらかというと戦前の暗い影を引きずって、さらに戦後、政治における闇の部分のようなものを一身に背負っているような見方がなされてきたわけです。

 しかしながら、この30年、冷戦が終わってから90年代以降、岸の評価はずいぶん変わってきているところがあると思います。ひと言でいうと、それは「岸信介再評価」です。つまり、かつては民主主義の敵とまでいわれた安保改定における岸の決断というものが、実は振り返ってみたら毅然として安保改定をやったことが今日の日米同盟の礎を築いたのだということで、非常に積極的な評価に変わってきたのです。

 おそらくそれが決定的になったのは2000年代で、岸派の流れを汲む清和会の政権が続く中で、改めて岸の評価が見直されることになりました。2006年に第1次安倍政権ができた時に、安倍元首相は「戦後レジームからの脱却」を掲げて、自らの祖父である岸の志を継いで、憲法改正を目指すということを明言しました。そういうことから2006年以降に安倍政治の源流を探る意味で、たくさんの岸関連本が出版されて、ある種の岸ブームともいうべき社会現象を引き起こしたのは比較的記憶に新しいところではないかと思います。

 ただ、そういったものを踏まえたとしても、やはり今なお評価が大きく割れているし、評価が変わるということは、岸という政治家の実体というものがまだよく分かっていないということなのではないかと思います。

 岸は晩年になって「昭和の妖怪」といわれました。1980年代の後半まで存命したわけで、妖怪という言葉を非常に使われたわけですね。妖怪とは何かというと、人間の理解を超えた何か不気味な存在とか、そういうイメージが強いと思います。

 ただ、やはりそういう名前がつけられるということは、実体についてはまだ分かっていないし、われわれもステレオタイプなイメージ、あるいはイデオロギーから逆算して、それを岸という人に投影しているところが強いのではないでしょうか。

 冷戦の時代は保守と革新が2つに割れていました。岸が行った安保改定は、まさに1960年の保守と革新の激突が頂点に達したところだと思います。だからどうしても今後保守の側は岸を高く評価して、革新の側は岸を批判します。ただ、それは実体の岸の行動を批判しているというよりは、むしろイデオロギー的に逆算されたイメージのようなものを岸に過剰に投影しているのではないでしょうか。

 歴史研究という観点からすると、そういったある種の神話的なものを少しずつ剥いでいって、実体を明らかにしていくべきです。つまり、岸という人が官僚、あるいは後には政治家として何を目指したのか。あるいは何をどこまで達成したのかについて、神話的なものを剥いで、等身大の岸という人を検証する必要があるのではないかと思います。

 岸といえば日米同盟、あるいは日米安保改定という非常にイメージが強いわけですけども、今日は少し違う視点か...
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