●「昭和の妖怪」岸信介の実体を明らかにする必要がある
今日お話しさせていただくのは、「岸信介における戦前と戦後」というテーマです。岸信介という人を考える上で非常に重要なのは、その評価が二分されていることです。非常に毀誉褒貶が相半ばする政治家というのは、これは今も昔も変わらないのだと思います。
一般に岸というと、1960年の安保闘争というもののイメージが非常に強いと思うのです。その安保闘争もわりとネガティブなイメージを、ある世代以上の日本人は抱いています。というのも、そもそも戦前、太平洋戦争が始まる時に開戦の詔書に署名をしました。つまり岸は商工大臣として、閣僚として東條英機内閣に加わっていたわけです。戦後はA級戦犯に指名されて、約3年間獄中にいました。釈放された後で政界に復帰するのですけれども、その後で自民党の初代の幹事長などを経て、政界復帰からわずか4年あまりで総理大臣になったわけです。
ただ、この岸という政治家は、非常に戦前の暗い影を引きずっているのだということで、日米安全保障条約を改定しようとなった時に国民から強い反発を生みました。決定的だったのは、改定された安保条約を国会で通す時に強行採決をしたことで、ある種、戦後民主主義の敵のように描かれてきました。そう評価されてきたのです。
首相を辞めた後も、反共主義であるとか、憲法の改正を主張して政界に非常に強い影響力を残しました。どちらかといえば保守政界、保守の右派の中の奥の院として君臨したというイメージが強いわけです。
今日でも、安倍晋三元首相の暗殺でクローズアップされている自民党と統一教会の関係を見ても、やはり元をたどると岸と国際勝共連合との関わりが源流にあるのだという指摘がよくいわれます。
そう考えると、岸という人はどちらかというと戦前の暗い影を引きずって、さらに戦後、政治における闇の部分のようなものを一身に背負っているような見方がなされてきたわけです。
しかしながら、この30年、冷戦が終わってから90年代以降、岸の評価はずいぶん変わってきているところがあると思います。ひと言でいうと、それは「岸信介再評価」です。つまり、かつては民主主義の敵とまでいわれた安保改定における岸の決断というものが、実は振り返ってみたら毅然として安保改定をやったことが今...