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皇室財産や旧宮家の復帰について大胆に議論してよい時期だ

天皇のあり方と近代日本(6)皇室財産と旧宮家の復帰

片山杜秀
慶應義塾大学法学部教授/音楽評論家
情報・テキスト
第二次世界大戦後、皇室財産はすべて国に属すこととされ、皇室費用も国会の議決が必要になってしまった。その結果、「皇室は国民の税金で食べている」などという批判まで現われるようになった。だが、そのような姿で良いのか。福澤諭吉の「帝室論」のあり方を現代に生かす可能性はないのか。今こそ、戦後民主主義的な皇室像を大胆に変えていくことを、国民的に議論してもよいタイミングである。(全7話中第6話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
時間:13:28
収録日:2021/11/02
追加日:2022/01/20
タグ:
≪全文≫

●なぜ、戦後に「皇室財産」が奪われてしまったのか?


片山 (「帝室論」は)棚上げされたけれども、戦後の天皇や皇室のありようを考えた場合には、先取りしているところがあります。それから、戦後民主主義のなかで天皇(皇室)が国民から敬愛されるシチュエーションをつくっていくというのであれば、「皇室財産がたくさんあって、文化や芸術にお金を出す皇室像」というのはありえた話だと思います。

 ところが、おかしなことに、「戦後民主主義だというのに天皇(皇室)がたくさん財産を持っているのはけしからん」という話になってしまう。あくまでも民主主義の下の象徴天皇は、国家の仕掛けであって、皇室の予算なども国会でコントロールされるべきものだという意見が、戦後は通ってしまったわけです。

 だから、皇室財産は戦前・戦中まではあったけれども、(戦後は)なくなってしまった。天皇が自らのパフォーマンスによって国民から尊敬されるというようなときには、多分自分のお金を使えたほうがよかったと思います。それが、戦後民主主義の初期の原理主義的な「皇室が、自分たちが貴族的な暮らしをするためにたくさん財産を持っているというのは、戦後民主主義の精神に反していてけしからん」「皇室財産など、とんでもない」などという議論のほうが勝ってしまった。今では「警備費にいくらかけるのだ」といってくる人間ばかりになってしまったのです。

 皇室が財産を持っていれば、「自分たちの財産でやります」といって、「ああ、そうなのか」という価値観の形成もありえたはずなのですが。そこが、オールド・リベラリストの設計も、ある意味で失敗しているわけです。

 皇室財産を持っていない戦後の皇族は、全部税金でやっていて、「儀式も税金でやるのですか」という話になってしまった。むしろ、全部国家の予算でやって当たり前の皇室のありようになっていて、天皇主権・天皇中心で、天皇が建前としては政治・権力・権威の全部の頂点にいることになっていて、「朕は即国家である」というような考え方で国家のお金はすべて天皇のお金といってもいいような価値観でもまかり通るような論法を通していたはずの明治国家体制においては、別に皇室財産があった。ところが、そうでないほうが望ましいというふうにも考えられる戦後においては、皇室財産はない。このねじれも非常に尾を引いている気がします。

―― これは、尾を引いていますよね。福澤の「帝室論」を読むと、「当時のヨーロッパの王家や皇帝家などと比べて、日本の皇室財産は少なすぎる」という議論を展開していて、「そこはもっと積むべきだろう」というような書き方もしています。

 今、先生からご指摘があったように、戦後になるともちろんGHQの思惑もあれば、皇室財産をどうするのかという議論もあり、実質上かなりの部分を削られてしまったということですね。ただでさえ福澤が少ないといっていたものが、さらに削られていく姿になった。眞子様の問題についての批判でも、「俺たちの税金で飯を食っているのに」と、何かとんちんかんな批判をする向きもかなり多い。本来的に国のあり方はどうだったのかということを考えると、ちょっと議論が割れてしまいそうに思います。

片山 本当にそうですね。そこは今後大きく是正していくような議論、「莫大な皇室財産を」というような議論には、たぶん残念ながらなっていかないかな、とも思うのです。戦後のデザインの間違いを修正するタイミングを、やはり(どこかで失ってしまった)。戦後民主主義のある種の美しい理念を「いじる」ことの困難さがあるなかで、天皇家のありよう、皇室のありようというものを議論することもないまま来ました。

 とくに平成の天皇皇后までは、むしろ戦後民主主義の皇室像に殉じていこうというくらいの強い姿勢をお示しになられたから、これはすばらしいことだと思いますが、ただし、その後をどう続けていくかというときに困難が立ちふさがる。もう修正の難しい状況が続いてしまったということはいえると思います。


●オールド・リベラリストたちの失敗を、福澤的に超えるには?


―― そういう状況のなかで、今日は三島の議論であったり、福澤「帝室論」の「超然たるべきだ」という議論を見てきたわけです。明治から後、それから戦後の混乱期の苦しいなかを乗り越えてきて、こういうあり方になったものが、さらに、先ほどお話に出た全世界的な社会の二分化や価値観の多様化のなかで、新しい方向を模索していくとすると、いったいどういうことがあり得るのか。

 戦後すぐにオールド・リベラリストたちが構想したようなものではないものがあるとすると、では、今後どういうものがあり得るのかというところですが、この難しい問題を先生はどのようにお考えになりますか。

片山 これは、先ほどいっ...
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