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角福戦争…派閥解消にこだわる福田vs金権政治の田中角栄

福田赳夫と日本の戦後政治(6)角福戦争と福田赳夫の敗北

井上正也
慶應義塾大学法学部教授
情報・テキスト
福田赳夫
出典:首相官邸ホームページ(https://www.kantei.go.jp/jp/rekidainaikaku/067.html)
佐藤栄作首相の絶大な信頼を得て、政権内で確固たる地位を築いていた福田赳夫。佐藤が首相の座をしりぞく1972年、次期総裁の最有力と目されていたのは当然、福田だった。しかし、田中角栄の総裁選立候補がその状況を一変させた。「角福戦争」と呼ばれる熾烈な総裁選が繰り広げられることになり、福田は敗北する。総裁選の明暗を分けた要因を、福田と田中の対照的な政治理念から読み解く。(全9話中第6話)
時間:08:32
収録日:2022/09/29
追加日:2023/06/16
≪全文≫

●佐藤栄作も気がかりだった派閥解消論者の福田赳夫の姿勢


 佐藤政権は非常に長期政権になったのですが、1970年、総裁の3期目が終わった時に佐藤栄作は悩みます。つまり4期目をやるかどうかという瀬戸際だったのです。佐藤にとって、3期で辞めて、自分に力が残されているうちに福田赳夫に後を譲るというのが一番いい考え方でした。

 ところが問題がありました。1つは、福田自身は派閥解消論を唱えていたので、自分の派閥を熱心に大きくしてなかったのです。赤坂プリンスホテルに旧岸派の事務所があって、それを福田は引き継いでいたのです。だから、もちろん福田の周りに人が集まってきて、福田の派閥は存在していたのですが、実は熱心に総裁選に勝つために何か活動をするとか、会員の数を増やすようなことをしていなかったのです。

 実は佐藤はそれをすごく心配していて、福田はやる気があるのかと。派閥解消なんて甘っちょろいことを言っているかもしれないが、結局は、政治は数の世界だというのが佐藤の考え方なのです。このままいくと、自分が福田を推そうにも、総裁選になったときにライバルたちが連携して福田を潰しにいったら負けてしまうではないか、というのが佐藤の懸念でした。

 佐藤はそう考える一方で、自分ももう少し首相をやりたいという気持ちがあったのです。というのも、もう1期、4期までやったら佐藤が政権後最大の課題として取り組んできた沖縄返還をその目で見ることができます。自分が首相として沖縄返還を達成できるという野心もあったのです。


●川島正次郎の思惑も利用し、総裁選に一気に挑んだ田中角栄


 そういう佐藤の心理を非常にうまく突いてきたのが、自民党の副総裁だった川島正次郎でした。先ほども少し名前が出てきましたが、もともとは岸の側近だったのです。ところが岸派が分裂したときに福田と違う派閥をつくりました。だからあまり実は関係が良くないのです。

 川島は福田には首相になってほしくなかったわけです。というのも、官僚出身の池田勇人、佐藤が続いて、また官僚の福田が続いたらずっと官僚政権ではないかと。川島は、たたき上げの党人派であり、戦前から選挙で勝ち残ってきた政治家です。同じ党人派として彼が期待していたのは、佐藤派の最高幹部の1人だった田中角栄でした。田中に対して期待をしていました。ところが3期目で辞められて、福田に後を譲られたら、田中はまだ準備が整っていないのです。4期目まで時間を稼げば、田中は力を付けることができるということで、川島は結局、佐藤に総裁4選をおやりなさいということを勧めるわけです。

 川島自身はその後間もなく病気で亡くなるのです。田中はその川島の遺志を継いで、次の1972年の総裁選時に福田に対するチャレンジャーとして出てくるわけです。

 長い佐藤政権が終わって、1972年、いよいよ佐藤が退陣する日がやってきました。ここで自民党総裁選が行われることになったわけでありますが、当然、この時、政界で本命の後継者と見られていたのは、福田だったのです。閣僚としてのキャリアといい、大蔵大臣として経済財政を運営してきた実績といい、申し分のない存在でした。

 ところが、ここで一気に挑戦してきたのは田中だったのです。田中は佐藤派の幹部でした。しかし、佐藤派の幹部でいながら、徐々に佐藤派の中で自分の派閥を作っていたのです。総裁選の直前になると、一気に田中派という自分の派閥を立ち上げます。

 田中派を立ち上げたときに、実に佐藤派の8割の議員が田中の味方をしたのです。一気に田中派が総裁選に打って出て、勝負に出てくることになります。結局、佐藤は自分がうまく田中をコントロールして、福田に禅譲させることができると思っていたのですが、完全にその見通しは外れたわけです。

 この年の自民党総裁選で立候補が当初予定されていたのは、福田と田中、それに大平正芳、三木武夫、中曽根康弘の5人だったのです。ところが、この5人の候補者の基礎票は、いずれもどっこいどっこいなのです。どこが圧倒的というわけではないので、それ以外の中間派といわれた小さい派閥の票をどうやって取るかが勝負になるわけです。


●政治理念を曲げぬ福田赳夫、福田包囲網で田中角栄に敗れる


 やがてこの5人の間でも合従連衡が始まります。まず大平と田中です。2人は親友関係だったのですが、この2人が手を組むのです。続いて中曽根派が田中支持に踏み切ります。立候補から下りるのです。

 この間のプロセスで何が起こったのかというと、田中は圧倒的な実弾攻勢です。つまりは賄賂を送って買収していくということで、どんどん切り崩していっていたわけです。やがては周りがおかしいぞと騒ぎ出して、新聞や雑誌のメディアにもそれが載り始めます。

 福...
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