新撰組といえば「刀の集団」というイメージが持たれがちだが、実際には早い段階から洋式の鉄砲を買い集めて、大砲なども用いて訓練していたことが分かっている。では、なぜ幕末の京都では「刀」での戦闘が繰り広げられたのだろうか。また、鳥羽伏見の戦いの後、近藤勇ら新撰組が組織した甲陽鎮撫隊の逸話にも大きな誤りがあるという。さらに新撰組に結実した多摩の誇りと気骨は、明治に入ると、薩長藩閥政府に対抗する自由民権運動の熱気へとつながっていく。史実に余白が多く、だからこそさまざまな物語が生まれた新撰組。最終話では、史実を追いながら、あらためて新撰組の魅力と後世に引き継がれたその魂について考える。(全9話中第9話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツ・アカデミー編集長)
≪全文≫
●誤解される土方歳三の言葉…新撰組は「刀の集団」だけではない
―― ここで鳥羽伏見の戦いになり、戊辰の戦いになり、最後、土方などは箱館の戦いまで行くというところになります。この後ろの部分を堀口さんはどう見ておられますか。
堀口 それは、新撰組にとって受難の時代というか、自分たちは政権側にいたけれど、その後ろ盾がなくなってしまったというようなところは、もう喪失感どころの話ではなかったと思うのです。
1点、言及しておきたいのは、新撰組は武士に憧れていた人たちといわれているのですけれど、実際には身分として武士になっているのです。それは、慶応3(1867)年の時点で近藤勇は旗本に取り立てられているので、成就はしているし、武士になった立場で戊辰戦争を迎えているわけなので、戦局をどうするかというところで、江戸城に上がって主戦論を唱えるというようなこともしています。
また、その後、結局、徳川慶喜が恭順をするということを決めて、江戸が戦場になることはなかったわけなのですけれど、日野のあたりといいますと、甲陽鎮撫隊が結成されて、甲州のほうに出陣していこうという流れで、多摩の豪農の人たちがそれを支えるという流れもありますので、今度は負けた側の戦いになっていくというところでしょうか。
―― 松下さん、このあたりはいかがですか。
松下 京都で刀を振り回していたところから、近代戦に突入していくわけですけれど、けっこう大きな誤解があるのは、新撰組が「刀の集団」であるということなのです。確かにその元になったのは近藤勇の剣術道場ですけれど、土方歳三、近藤勇、彼らはけっこう早い段階から洋式の鉄砲を買い集めたりして訓練しているのです。
なお、よく鳥羽伏見の戦いの後に土方歳三の「刀の時代は終わってしまった、ガクッ」という描写がありますけれど、あれはあり得ないのです。鉄砲がズラッと並んでいる前に刀でもってワーッと突っ込んでいったらどうなるかというのは、戦国時代に証明されていますから、そんなことはもうやらないのです。当然、新撰組も鉄砲でもって戦いに挑んだはずです。
土方歳三の「刀の時代は終わってしまった、ガクッ」という元ネタは実はあります。これは、土方歳三が鳥羽伏見の戦いの後に佐倉藩の依田學海という人に語った話なのですけれど、何と言っ...