●連綿と積み重なる過去の情報の中で危険性を増す「同時代性の罠」
皆様、平和にお過ごしでしょうか。楠木建でございます。本日はこのような機会をいただき、まことにありがとうございます。
以前からある本を書きたいと強く思っていました。コロナ禍で暇になったため、集中して取り組むことができ、最近こちらの『逆・タイムマシン経営論』という本を出版しました。これに基づいて、私の考えについてお聴きいただければ幸いです。
皆さん、「タイムマシン経営」という言葉をお聞きになったことがありますでしょうか。孫正義氏が有名です。これは要するに、未来はすでにどこかで実現されているという話なのです。例えば、シリコンバレーには、最先端の技術やビジネスモデルがあります。それを日本に持ってくれば、時間的なアービトラージ(編注:取引用語でいわゆる「さや取り」のこと)を得られるというものです。
私の発想は、その逆を考えてみたらどうかというものです。過去は連綿と積み重なっています。例えば、日々メディアから出てくるニュース、記事、言説などが、長期間にわたって積み重なっています。
これは今に始まった話ではありませんので、過去の同じような言説を振り返ってみましょう。すると、「同時代性の罠」というものをつくづく感じます。つまり、旬の言説であればあるほど、その時代のステレオタイプ的な論調や同時代のノイズがそこにはまとわりついています。これによって情報の受け手はバイアスがかかり、判断ミスをすることが頻繁に起こっていたことに気づくわけです。
●「新聞雑誌は10年寝かせて読め」
ではどうしたらいいか。対応策としては、「過去に遡るに如(し)くはなし」ということです。歴史に学べというと、多くの方が歴史書を読むことがあるかと思います。例えば経営史の専門家である米倉誠一郎氏は、『イノベーターたちの日本史―近代日本の創造的対応』(東洋経済新報社)という本を書いています。これはこれで大変勉強になりますが、歴史書には書き手が捉えて、自分の考えを反映させた歴史が書いてあります。
それに対して、逆・タイムマシン経営論が注目するのは「史料」です。過去記事を史料として考えてみましょう。例えば、『日経ビジネス』を取り上げてみましょう。お読みの方も多いと思いますが、創刊50周年です。今から44年前の1976年に、「日本的経営を総点検する」という特集を組んでいます。
この中では、「揺らぐ日本的経営」という議論が繰り広げられています。その後の『日経ビジネス』の記事も読んでいると、この数十年間、日本的経営は揺らぎっぱなしです。40、50年揺らぎっぱなしというと、逆にどれだけ盤石なのかと思いますね。振り返ってこうした記事を読んでみると、当時の同時代のノイズが時間の経過とともにデトックスされていき、その本質的な論理に目が向きます。本質が剥き出しになっているという点が、面白いと思うのです。
したがって、「新聞雑誌は10年寝かせて読め」ということです。情報は鮮度が高ければ高いほど意味があると思っている方が多いと思いますが、時間を空けて読むと、これはこれで大変味わいがあり、勉強になるのです。
●歴史を振り返ることの強みと人間の本性
そもそも歴史的な事実とはどのようなものでしょうか。『FACTFULNESS 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣』(日経BP)という本がベストセラーになりました。事実を正しく理解しようという主張は、その通りだと思います。それに対して、「逆・タイムマシン経営論」は「パストフルネス(PAST-fullness)」を強調しています。歴史はそれ自体、事実の集積です。誰も未来を正確に予測できません。孫正義氏ですら予測できないのです。
ところが、歴史的な事実は確定した過去の事実です。かつ、統計データのようなファクトとは異なり、ある歴史的事実が生まれた背景、状況、文脈を吟味することができます。つまり、なぜそのような事実が生まれたのか、因果関係を考えながら確認できることが、「PAST-fullness」つまり、歴史を振り返ることの強みだと思います。
その範囲ですが、平安時代まで遡ると、われわれの生活は貴族の生活とは大きく異なります。戦国時代でも合戦がない現代との比較可能性は小さく、幕藩体制という構造もありません。むしろ戦後70数年近過去に、タイムマシンで遡ってみると、面白いのではないかと思います。
やはり人間は時間的な奥行きに極めて弱い生き物で、過去のことはすぐ忘れてしまいます。これは人間の本性だと思うのです。ですので、普段目に入らないものを見ることで気づくことがあるのです。
例えば、ボジョレーヌーボーを振り返ってみましょう。1996年には「10年に一度の逸品」と宣伝していましたが、翌年に...
(楠木建著、 杉浦泰著、日経BP)