●「人生には“9の坂”がある」
―― 皆さま、こんにちは。本日は作家の江上剛先生に、「会社人生における50代の壁」についての講義をいただきたいと思います。先生、どうぞよろしくお願いいたします。
江上 よろしくお願いします。
―― 会社の中で50代というと、その先の身の振り方を含めて、いろいろな決断を迫られる時期だと思います。江上先生も49歳で銀行をお辞めになりました。
江上 そうですね。私は第一勧業銀行(現在のみずほ銀行の前身)に勤務していまして、49歳で辞めました。
辞めたときの話を少しさせていただくと、1997年に第一勧業銀行に「総会屋」――ベースは暴力団のようなものです――への利益供与が発覚し、大きな事件となりました。私はその問題解決や銀行内の体制整備に当たっていたのですが、その中で第一勧業銀行は日本興業銀行、富士銀行と経営統合することになったのです。
総会屋事件では、私の尊敬する人が責任を取って逮捕されたり、お辞めになったり、宮崎邦次さんという大変素晴らしい経営者が自殺されるといった流れがありました。その反省を、まだ十分にしていないのではないかという思いが、私の中に非常にありました。
そのときに経営統合となったのです。統合の際も、それぞれの派閥といいますか、出身銀行の論理といったものが非常に表に出たものですから、私は少し疲れてしまい、失望感もあって、会社を辞めようと思うに至りました。それが49歳です。
「人生には“9の坂”がある」とよく言われます。9が付く年齢が節目となる。ですから49歳の坂(壁)も、なんとかそれをうまく乗り越えられれば、あるいは乗り越えられなくても少し迂回できれば、(無事に)50歳を迎えられるわけです。
私は大学を卒業して銀行に入り、普通に銀行員として全うするつもりでいました。ところが、50歳を直前に「49(歳)の壁」にぶつかり、後先を考えずに退職することになりました。そして、運良くいろいろな人に助けられて、作家になることができたのです。
●「まさかの坂」、たった一日で人生が変わることもある
江上 そして50歳になると、今度は60歳に向かって歩み出します。ところが、56歳のときに日本振興銀行が経営破綻し、日本初のペイオフ(預金者の元本1,000万円とその利息までしか補償しない)が発動されました。その経営責任を取ることになったのです。私は社外役員...
(江上剛著、PHP新書)