●心が病んでいく「のに病」を乗り越えるために
―― 先生がご本(『会社人生、五十路の壁 サラリーマンの分岐点』)の中で、お母様の教えだということで印象深いことをお書きになっています。それは、「のに病」です。例えば「こんなに会社に尽くしたのに」「あんなにできない部下だったのに(俺より出世して)」などといった「~のに」をずっと思っていると、心が病んでしまう、非常に辛くなるということですが、これは非常に大事な教えですね。
江上 そうですね。これは、すごく効き目があります。自慢ではありませんが、私はこのアドバイスで何人も助けました。ある人は、本当に順調な人生だったのですが、急に社長から嫌われて、職場の(重要な)ポストを完全に外されてしまいました。また、あるマスコミの人のことですが、失敗をして、もう世間に顔を出せないほど大変な辛い時期がありました。彼らがこっそりと私と飲みながらいろいろと話をしたときに、「のに病」の話をしたのです。
私たちはやはり、「~のに」と思ってしまう。「こんなに練習したのに、試合に負けた」など。私は小説家ですから、「こんなにうまく書けたのに、売れなかった」とかね(笑)。あらゆる場面で「~のに」が出てしまうのです。
ましてや会社など組織に属していると、自分の部下がどんどん出世していくこともあります。「あいつは俺の足手まといだったのに」「教えてやったのに、今では自分を使うような立場になって」などと思う。同期であれば、「あいつは自分よりも無能だったのに」「自分のほうが名門大学を出ているのに」などもある。いろいろなことが「~のに」で出てきて、これが心の中に巣くってしまうと、本当に心がどんどん病んでいくのです。
これを一度解放してしまう。そういうことを口にしないようにする、考えないようにする。それだけでまったく周りが明るく見えてきます。母親にはサラリーマンなど組織や企業に属した経験はありませんでしたけど、いろいろと人生を歩んでいるうちに感じたのでしょう。
マラソンではよく、「走った距離は裏切らない」と言います。練習で100キロメートル、200キロメートルなど走る練習を一生懸命やっていると、どんどん記録は伸びてきます。ですが、ある一定のところへ来たら、どんなに練習しても伸びないときがあります。プロの人はそこをきっと乗り越えるのでしょうが、普通の人間は「こんなに努力したのに、成果が出ない」とやめてしまうと、不満を持ち、暗い気持ちになる。これだけをやめたらいいのです。「~のに」という言葉が出そうになったら、それを外すだけで、どれだけ50代の人生が楽しいかということです。
―― 「~のに」が出てきてしまったときは、どう考えればいいですか。
江上 「~のに」を考えたときには、「~のに」を消してしまう。
―― 代わりにどういう発想をすればいいのでしょう。
江上 逆のことを考えればいいですね。例えば同期や部下が出世していって、「俺はあいつよりも優秀だったのに」と思ったとする。でも、だからといって、自分が無能だったとは考えなくてもいいですね。「それはそれ、これはこれ」と客観視するといいのでしょう。その起きた事象にあまり心を動かされないようにする。
これは「言うは易く、行うは難し」かもしれませんが、しかしそのように思う。「彼は出世していくのだ。それはそれでいい。自分は自分の道を行く」と。先ほど(第2話)言いましたが、そのときに「自分はいったい何を求めているのだろう」と、自分が本当にやりたいことを探してみることでしょうね。あまり周りのことを頭の中に入れていかないことでしょう。
●ハローワークでの衝撃「50歳を過ぎたら1年ごとに仕事が10%なくなる」
―― 自分を客観的に見る。それはもちろん会社の中でということはありますが、そうではなく、より広い市場で見たときに「自分はどうなのか」という問題も出てくるかと思います。ここでまた先生が非常に興味深い、ご自身の例を書いていらっしゃいます。
49歳で銀行をお辞めになった後でハローワークに行ったところ、喪黒福造(もぐろふくぞう)のような人が窓口に出てきて、「あなたはなにができるのですか」と詰められた話が書いてありました。これは下手をすると、「私は銀行で支店長までやったのに」「銀行でこんなにお金をもらっていたのに」と思いたくなる局面だと思います。(テンミニッツTVをご覧の方の中に)ハローワークに行ったことある方がどれだけいるか分からないですが、これは衝撃的な出来事でしたか。
江上 ええ。今も東京・有楽町の東京交通会館に東京人材センターのようなところ(東京労働局有楽町総合労働相談コーナー)がありますよ。これは小説家としての仕事の意味も兼ねて自分の身分を明かさずにそこに行きました。そこは...