●思い切ってチャレンジするのもよし
江上 「杞憂」という言葉がありますが、われわれはいつも「天が落ちてくるのではないか(というくらい深刻に)」と思ってしまいます。だけど、それを具体的に、「この心配は、この程度で、こういうことだ」と見ていくことが大切です。
私は明治期に成功した人たちの小説もよく書くのですが、確かにお金がたくさんあると幸せになる可能性が高いのかもしれません。だけど彼らからすると、お金を持てば持つほど、お金を持つ心配もあるのです。
結局、「お金を持つ、お金持ちになる、給料をたくさんもらうこと」と、「精神的な充足感」とのバランスを、人生の中でどのように取るかという話なのです。それは、しゃにむに働いている30代や40代ではあまり考えなかったことでしょうが、50代になってサラリーマン人生に先が見え始めると、そのことをしっかり考えるべきではないでしょうか。
もう一ついえば、私は割といい加減に銀行を飛び出しましたが、考えようによっては、優秀で「会社にずっといてくれ」と言われたら、その会社の人間で終わってしまいます。それはそれでいいのかもしれません。順調に役員などになり、いつか天下りさせてもらって、どこかの社外役員になるといった、いい人生があるかもしれません。
しかし、50代でいろいろ考えたときに、「俺はこんなことをやりたかったのに、少しやり残してしまったな」と思ったとする。そのことを具体的に例えば「こちらの道のほうが、もしかしたら収入は減るかもしれないけれど、人生の豊かさは膨らむかもしれない」と思ったら、こういった機会だからこそ思い切ってチャレンジしてみるのもいいかもしれません。
とにかく、諦めずに、明るく前向きな気持ちで、妙な不安に押しつぶされない限りは、きっと人生ってそんなにまずいものではないですよ。
●欲得なく歩んでいく人生は爽やかでいい
―― 環境がどんなに変わっても、どのような心構えで臨んでいくのかが非常に重要だということですね。
江上 そうです。例えば、本(『会社人生、五十路の壁』)に私の知人の例を書きました。50代になって、会社から出向を命ぜられることがあります。「もうおまえは役員にはなれない。部長としても先がないし、出向しなさい」と。そこで、「分かりました」と応じて出向します。ところが出向先に行ってみたら、実はその会社はもう倒産寸前だったのです。
だけど彼はそこで、「この会社に来た以上は、この会社の人間になろう」と思い、(鉄鋼関係の会社だったのですが)誰もが最もやりたがらない仕事をやり始めました。具体的には、石炭をスコップでボイラー(溶鉱炉)に入れるような仕事を、自分で買って出て行いました。きっと人員が足りなかったり、あまり景気が良くないからスタッフが辞めたりしていたのでしょう。汗だくになって、汚れながら、それをずっと続けたのです。
すると、彼を見る社員の目が違ってきたそうです。自分たちと一緒になって汗をかき、やりたがらない仕事も一生懸命やっている。彼はそうパフォーマンスしようとしたわけではありません。この会社で皆がもっともやりたがらず、大変な仕事なのだろうと考えたときに、「この会社に骨を埋めるつもりだから、自分がそれをやろう」と思っただけなのです。素直にそう思った。これで誰かの評価を得よう、なんとかしようなどと思っていない。もしかすると、やけくそだったかもしれません。
すると、暗く、大変だった周りの社員たちが、だんだん明るくなってくる。彼を中心にいろいろと前向きな提案が出てくる。会社が知らないうちに徐々に良くなってきたそうです。彼はそこで、「このような形で、会社は悪くもなるし、良くもなっていくのだ」ということに気がつき、会社を建て直すことができたのです。
それが50代のときです。そして、その会社でそれなりのポストに就いた後、彼の評判を聞いた人たちから「うちの会社も手助けしてくれないか」と呼ばれる、といった人生を歩んだのです。
ですから、“人間到る処青山あり”ではないですが、人間はどこでも陰日向なく歩んでいける。欲得なく歩んでいく人生は、「ああ、いやだな。こんな出向させられて」「こんな会社に飛ばされて」「こんなポストに就かされて」「あいつは俺よりも無能だったのに偉くなりやがって」などを思う人生よりは、ずっと爽やかでいいですよね。
●人生の「K字」は50代にある
江上 精神的にも非常に豊かな人生を歩む人と、ブツブツ文句を言いながら不満の人生を歩む人がいる。もしかすると50代のときに、人生の「K字」があるのかもしれません。皆さんの人生が上昇する――お金持ちになるという意味ではなく、精神的に充実するような人生を歩める――かどうかの分かれ目(K字)は、ちょうど50代にあるかもしれま...