「局中法度」のイメージから、新撰組内での「粛清」もよく語られるが、実際のところはどうだったのか。中でも気になる人物として上げられるのが伊東甲子太郎である。彼がなぜ粛清されたのか。そして、その後は…。人斬りのテロリズムが吹き荒れた幕末の京都で、いかに「対テロ集団」として新撰組が活躍していったのかを、当時の京都情勢もふまえて解説する。(全9話中第8話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツ・アカデミー編集長)
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●新撰組隊士の謎の有無は生き残ったかどうか
―― なるほど。その新撰組ということを考えた場合に、構成員の比率でいうとかなり幅広い比率ですよね。
松下 そうですね。多摩の人がほとんど少ないのです。10人いないぐらいです。幹部に占める割合は高まりますけれど、一般の隊士ということになると現地で集めた人、それから数回に分けて江戸で集めた人、そういう人たちが大半になります。
もともとどこかの藩を脱藩して出てきた浪人であったり、よく分からない人が非常に多いですね。なぜよく分からないのかというと、芹沢鴨が先ほど(第6話で)よく分からないことが多いと言いましたが、なぜ芹沢鴨がよく分からないことが多いかというと途中で死んでしまったからなのです。藤堂平助や山南敬助が、みんなが思っているよりも実は分からないことが多いというのも、やはり途中で死んでしまったからなのです。
逆に謎の人物というイメージが強い斎藤一が、実は藤堂平助や山南敬助に比べると謎ではないのです。なぜならば、生き残ったからです。斎藤一も偽名ですけれど、なぜ偽名と分かったかというと、生き残ったから分かるのです。彼がもし途中で死んでいたら偽名だということが分からなくて、「この斎藤って何?」という話でおそらく終わっていたと思うのです。やはり生き残るのは大事だなという感じでしょうか。
●史実と物語が曖昧である理由
―― これは京都での新撰組の物語を書く上で非常に重要というか、いろいろなキャラクターが出てきますけれど、例えば山崎丞とか、そのあたりはどこまで史実として分かっているものなのですか。
松下 伝承が多いですね。そういわれている、という伝承自体はすごく古いのだけれど、では元ネタは何かというと、よく分からないという話が非常に多いのです。
生き残った人が、「この人がこう言っていた」というようなのを書き残している話はいろいろあるのですけれど、その語った話が本当かどうかというのも、もはや今となっては確かめようがないのです。
司馬遼太郎さんの著作のさらにベースになっているのが子母澤寛さんの『新選組始末記』をはじめとする「新選組三部作」ですけれど、こちらは子母澤さんが大正末期から昭和初期にかけて、当時まだ存命だっ...