樋口ルートで脱出したユダヤ難民の数について「2万人」とされることもあるが、回想録の自筆原稿や当時の発給記録から導き出される数字は違うようだ。では実際はどうなのか。また、樋口に関しては、イスラエルで語り継がれる「ゴールデンブック」の謎に迫るべく、早坂氏が現地を取材。そこで見たものとは。信念を貫いた軍人たちと救われたユダヤ人との真実の物語を語る。(全5話中第3話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツ・アカデミー編集長)
≪全文≫
●樋口ルートを通って脱出できたユダヤ難民は「何人」なのか
門田 いったいどのくらいの数が樋口ルートを通って脱出できたか、分からないんですよ。
―― これはいろいろ議論がありますね。
早坂 これは私もいろいろ取材しまして、調べたんですけれど。まずよくいわれるのが、2万人という数字なのですね。
門田 でかいですね、2万人。
早坂 2万人を助けたという意見がよく出るんですけれど、正直いうと、この数字に実証性はないです。
門田 2万人はちょっと大きすぎますね。
早坂 ないですね。樋口の戦後に書いた回想録があるのですよ。これは本になっているのですけれど、そこには2万人と書いてあるのです。それを読むと樋口が2万人と書いたように読めるのですが、実はその本の元になった原稿(生原稿)は手書きのもので、非常に読みにくい字なのですけれど、これを読んだのです。そうすると、そこには2万人と書いていないのです。
―― 何と書いてあったのですか。
早坂 数千となっていました。だから、編集作業の中で出てきた数字なのですね。樋口自身は書いていない。小見出しに2万人と書いてあったりとかするので、小見出しの部分は編集者がたぶん作った。
それから、2万人というのは、樋口が亡くなったとき、昭和45(1970)年に朝日新聞が一報で出すのですが、そのときにも2万人と、朝日が書いているのです。ただ、ではそれはどこから来たかというと、まったく分からないわけです。
もう一つは、今、ユダヤ人側がイスラエルでいう数字です、2万人というのは。イスラエルで、2万人で定着している。ただ本当にどう数えたのかとか、実証的な真理たる、何か記録があるかというと、なかなか断言が難しいのです。
一番参考になるのは、当時、満州里で旅行会社――東亜旅行社という、今のJTBの元になる会社ですけれど――そこがビザの発給を実際に行っていたところです。そこの社内の資料を調べていくと、内地に何人ビザを発給したというのは割合書いてあるのです。それも資料のない時期もあるので、正確に全体像はいえないのですけれど、かなり目安になる、信頼性の高い資料だと思うのです。
それを足していくと、その昭和13年(1938年)の3月から16年(1941年)頃までの期間、全て足して数千ですね。一万に行かないぐらいだと思います。昭和13年の3月の最初の頃は数十人単位ですね。とい...