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古代ローマ人は祖国意識から「専守防衛」の考え方をもった

世界史の中のローマ史(3)“祖国”を発見したローマ人

本村凌二
早稲田大学国際教養学部特任教授/東京大学名誉教授/博士(文学)
情報・テキスト
「“祖国”というものを発見したのはローマ人ではなかったか」と、早稲田大学国際教養学部特任教授・本村凌二氏は言う。それまで、祖国という観念はなかったというのだ。それはいったいどういうことか。ローマ人は私たちに何を残したのか。日本にはどう関係するのか。本村氏が語る国家論。(全3話中第3話)
時間:14:47
収録日:2016/07/21
追加日:2016/12/07
≪全文≫

●祖国を発見したのはローマ人ではなかったか


 前回は、小さな都市国家から始まって、大きな覇権を握り、世界帝国を築いていったローマ人には、宗教的な誠実さ、敬虔さ、ラテン語では「ピエダス」があったというお話をしました。それから、ピエダスとは別に、慎ましさを意味する「レリギオ」という言葉があります。これは「レリジョン」、つまり宗教の語源になった言葉です。この言葉にシンボリックに表れているように、宗教的な敬虔さや慎ましさがローマ人の大きな特徴だったのです。しかし、ローマ人にはもう一つの特徴があります。今回は、それを取り上げたいと思います。

 私たち現代人は、国家や祖国という言葉を当たり前のように口にします。そうした言葉に反感を持つ風潮も無きにしもあらずですが、常識的に考えれば、国家や祖国を基本に考えなくてはならないでしょう。さらにグローバル化が進み、国家や国境が本当に意味をなさなくなれば別でしょうが、そうなるには、少なくともまだ数百年を要するのではないかと思われます。私たちが生きている限りでは、祖国を基本にして考える必要があるのです。

 では、祖国や国家という意識や観念が歴史の中でどのように生まれてきたのでしょうか。そのことを考えるとき、ローマ人の思ったこと、考えたこと、それに基づいて行動したことを振り返ることには意味があります。一言でいってしまえば、“祖国”というものを発見したのはローマ人ではなかったかと思うのです。


●ローマ人は自分たちの支配地を拡大していった


 これは、それ以前の時代と比べると分かることですが、例えば、ダレイオス大王の指揮の下、何十万人のペルシャ人たちが動員されてギリシャに攻め入ったことがありました。そのペルシャ人たちは、果たして祖国のために戦っていたのでしょうか。そうではありません。彼らは、国王から強制的に集められていたのです。それを拒否したら、自分自身や家族が大きな犠牲を払わなくてはなりませんでした。つまり、上から圧力を受けて、いやいや動員されていたのです。

 ギリシャのポリス(都市国家)はペルシャなどよりもずっと小さく、例えば、ペルシャ戦争でペルシャ人と戦った際、アテネには30万~40万人ほどの人口しかありませんでした。成人男子はおそらく10万人弱くらいで、後は老人、女性、子どもでした。そうしたところでは、確かに国を守るという意識が芽生えていたかもしれません。しかし一方で、彼らは人口が増えると遠くに植民しました。例えば、アテネからシチリア島に植民したとしましょう。その場合、植民地そのものが新たな一つの国家になることが普通でした。アテネの従属国ではなく、あくまでも一つのポリスになるのです。ギリシャ人には、自分たちの小さな国家を守る意識はあったかもしれませんが、それはローマ人の祖国への想いとは違うものでした。

 ローマ人がなぜ祖国を発見したといえるのかというと、それがよいことかどうかは別として、祖国の防衛を基本としながら、それ以上に自分たちの支配地を拡大していったからです。ローマ人たちは、ギリシャのように植民地を新たなポリスにするのではなく、小さな国家をどんどん拡大していくという方法を採ったのです。

 現代では、そうした覇権主義的、拡大主義的な考え方は危険思想視されるのですが、それはあくまでも帝国主義を経て、20世紀に大きな戦争を二つ体験した上での観念です。19世紀までは、拡大し、活性化していくことでしか、国家や祖国はあり得ませんでした。歴史上、国王や皇帝のため...
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