●世界の通商システムの流れを変えてきたアメリカ
トランプ政権になっていろいろなことが動いているのですが、日本から見て最も注目されることの中身が、いわゆるトランプ氏の保護主義的な言動です。今回はトランプ政権の下で起こり得る保護主義について、2回に分けてお話しさせていただきたいと思います。
今日、第一に申し上げたいのは、過去の歴史を見てもアメリカ政府が常に世界の通商システムの流れを変える、いわばその先鞭をつけてきたということ、そして15年、あるいは20年というタイムスパンの中で何度か大きな変化が起こってきたということです。
今、そういう中にあるとすると、トランプ大統領の下で進められている政策は、単にトランプ大統領個人の特徴的な政策というだけではなく、今後の通商政策、通商システムの方向を考える上での大きな転換点になる可能性があるということを、ぜひ考えていただきたいと思います。
●保護主義を広げたスム―ト・ホーリー関税
少し歴史をさかのぼりますが、アメリカが先鞭をつけた通商システムの大きな流れの中で最も有名な事例は、1930年代のいわゆる保護主義、つまり各国が貿易制限をして世界に不況が広がっていったというものです。実は、先進国の中で一番最初にここに踏み切ったのがアメリカで、スムート・ホーリー関税といわれるのですが、1930年代の初めにアメリカは大幅な関税の引き上げをし、結果的には平均関税率が40パーセント前後にまでなったという、非常に厳しい貿易制限をしました。アメリカは1920年代の後半から共和党政権の下で、いわゆる保護主義的な発言をする政治家がたくさんいて、スムート・ホーリー関税はそれに決着をつけた形で非常に高い関税をかけたのです。
ご案内のように、1929年にウォール街の株の大暴落が起こり、アメリカ経済も非常に厳しい状況になったわけですが、このスムート・ホーリー関税がきっかけになって、その後イギリスやフランスなど主要国が次々に関税を引き上げていくという保護主義の広がりがあったのです。この時期は毎月くらいのペースで世界の貿易がどんどん縮小していき、これが世界大恐慌をさらに悪化させたのです。輸出ができないということで各国の産業が大きく打撃を受け、特に日本やドイツなどでは軍部の台頭、ナチスの台頭というようなことの一つの背景にもなりました。ですから、そういう意味ではアメリカが最初に保護主義に動いたことが、世界を非常に厳しい状況に追い込んだということです。
●アメリカ中心でつくったGATTの3つの基本ルール
次にアメリカが出てくるのが1940年代の後半で、いわゆるブレトンウッズ体制の下、GATT(関税および貿易に関する一般協定、General Agreement on Tariffs and Trade)をつくりあげていく上でアメリカはその中心的な役割を果たしました。このGATTの制度というのはご案内のように、1930年代の保護主義への反省から出てきたもので、簡単にいうと多国主義、つまり多くの国を巻き込んでルールとして通商システムをつくりましょうということでした。
その中で3つの基本ルールがあり、これが今後のトランプ政権の下で非常に問題になってくるのですが、1つはいわゆる最恵国待遇です。つまり、全ての国に同様の貿易自由化を適応する、特定の国だけひいきしない、特定の国だけ狙い撃ちをして差別するようなことはないというもので、これらを最恵国待遇というわけです。
2つ目は関税引き上げを認めないという原則です。関税を下げていくかどうかは、通商交渉とか各国の判断に委ねられるわけですが、一度下げた関税を自国の勝手な理由で引き上げることはしない、というのがGATTの原則の2番目です。
そして3つ目は、今日の話とは直接関係はありませんが、関税化原則といわれているものです。輸入数量割り当てという形で貿易を制限することは認めないということで、全て関税という形でしか輸入制限は認めないという原則です。専門的な話になりますが、例えば日本が牛肉の輸入割り当てをかつてブラジルやアメリカ、オーストラリアにやったわけですが、これはそれぞれの国に対してどれだけの輸入の量を割り当てるかという意味で、国によって当然差別が出てきます。これが関税であれば、ブラジル産であろうが、アメリカ産だろうが、オーストラリア産だろうが、同じ関税で入ってくるため差別はできないということになります。
●GATTを壊しにかかる-1980年代の貿易摩擦
いずれにしてもGATTの下では差別はできないという中で、貿易自由化は進んでいったのです。そういう意味で、日本の戦後の経済成長もこの多国間との貿易自由化の中で恩恵を受けてきたのですが、これをつくったのはアメリカなのです。そして、これを壊したのもアメリカなのですね。特に顕著なのは1970年代からで、その頃から兆...