編集長が語る!講義の見どころ
聖徳太子を知ればこそ「日本」がわかる(特集&上野誠先生)【テンミニッツTV】
2021/07/23
いつもありがとうございます。テンミニッツTV編集長の川上です。
今年は聖徳太子遠忌1400年です。つまり、聖徳太子(574年~622年)が亡くなられてから1400年の年月が流れたということになります。日本の歴史の長さを、しみじみ実感させる話です。
そのこともあって、現在、東京上野の東京国立博物館では、「聖徳太子と法隆寺」の特別展が開催されています(7月13日~9月5日)。ちなみにこの特別展は、奈良国立博物館では4月27日~6月20日まで開催されていました。
一時は「聖徳太子はいなかった」などといった歴史学者の説が盛んに取り上げられ、学校の歴史の教科書からも「聖徳太子」という名前が消されたりしました。まさに謎多き聖徳太子ですが、しかし、聖徳太子のことがわからなければ、日本文明のことはわからないといっても過言ではありません。
この機会にぜひ、あらためて聖徳太子について学んでみてはいかがでしょうか?
■本日開始の特集:聖徳太子を知ればこそ「日本」がわかる
テンミニッツTVでは、聖徳太子についての講義も数々配信しています。聖徳太子が残した「和歌」からその精神に迫った上野誠先生の講義。法隆寺住職でいらっしゃった大野玄妙さんの講義、また、仏教思想史的に聖徳太子を読み解いた頼住光子先生の講義……。まさに、多面的に学べます。
https://10mtv.jp/pc/feature/detail.php?id=124&referer=push_mm_feat
上野誠:聖徳太子の1400回忌、「実在しなかった」説の真相に迫る
大野玄妙:聖徳太子が提唱した「和」と中国の「和」の大きな違いとは
頼住光子:聖徳太子が仏教を積極的に国づくりに生かした理由
※頼住光子先生の「頼」は、実際は旧字体
■講義のみどころ:「万葉集」の聖徳太子――日本人は何に憧れたのか(上野誠先生)
この聖徳太子特集のうち、本日は、上野誠先生(國學院大學文学部日本文学科教授/奈良大学名誉教授)の講義を紹介いたします。
はたして、「聖徳太子非実在説」の真相とはいかなるものなのか。また、日本人は聖徳太子のどのような点を尊び、憧れてきたのか。それらについて、『万葉集』に残された聖徳太子の和歌を手がかりに解き明かしていきます。
万葉学者として数々の本も出版され、関西ではラジオ番組も持っていらっしゃる上野先生ならではの、とても面白い講義です(本日段階では、第2話までの配信ですが、先の話を含めてご紹介します)。
◆上野誠:「万葉集」の聖徳太子――語りかける人(全6話)
(1)日本人の憧れ
聖徳太子の1400回忌、「実在しなかった」説の真相に迫る
https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=4095&referer=push_mm_rcm1
実は、「聖徳太子非実在説」については、歴史学界でも多くの批判がなされています。マスメディアは面白おかしく「聖徳太子は虚構だった」などといった歴史番組をつくることがありますが、決してそんなものではないのです。この点について、上野先生は、思わず膝を叩きたくなるご解説をされます。
《近代ドイツの歴史学者、主にランケという学者の歴史学説が、日本には強く普及しました。そのため、「事実認定だけがいいことだ」という考え方が日本では強いのですが、私たちが何かを語ろうとすると、それは「物語」になってしまうということがあります。
それは非常に重要なことです。聖徳太子を考えるうえでも、まずは「物語として読む」ことが大切ですし、聖徳太子が物語の中の人物であるがゆえに、「このように生きたい」「こんな人生を歩みたい」という日本人の憧れのエッセンスが聖徳太子の中につぎ込まれている。そのように理解をしたほうがいいと思います》
聖徳太子にまつわる数々の伝説は、もちろん大いに脚色されたものだが、伝説と歴史的事実が未分化なのは、どんな宗教者の伝記でも同じだ、というのです。「物語」だからこそ、そこには日本人の憧れのエッセンスが注ぎ込まれている。むしろそうだからこそ、日本文明や日本文化、日本人の感性などを考えるときには重要ではないか。まさにおっしゃるとおりでしょう。
そう述べたうえで、上野先生は、聖徳太子に日本人がかけてきた思いを知るために最適なものとして、『万葉集』巻の三に収載されている「聖徳太子の歌」を詳しくご解説くださるのです。
聖徳太子の歌は、次のようなものです。
《家ならば 妹が手まかむ 草枕 旅に臥(こ)やせる この旅人あはれ (上宮聖徳皇子)》
この歌には、聖徳太子が竹原井(現在の大阪府柏原市の高井田)にいらっしゃったときに、龍田山で死人を見かけておつくりになった歌だという題詞がついています。
『万葉集』が編纂されたころ(8世紀半ば)には、150年近く前の聖徳太子はすでに伝説上の人物だったので、いつの時代の人物かわかるように、この題詞には「この皇子は小墾田宮で天下をお治めになった天皇の時代の人」という記述もあります。「小墾田宮で天下をお治めになった天皇」こそ推古天皇です。
では、歌の意味はどのようなものか……については、ぜひ講義本編をご覧ください。上野先生の歌の解釈で、この歌に込められた様々な思いが、とてもよく理解できるようになります。
実は、この歌とほぼ同じ状況の歌が『日本書紀』にも掲載されています(講義第3話)。そこにもやはりこの歌が詠まれた状況についての説明書きが添えられていますが、それによれば、聖徳太子はまず、倒れている人の名前を聞き、返事がないので食事と衣服を与え、そのうえで歌を与えたのだと書かれています。このように、最初に名前を聞き、その後に食事や衣服を与え、歌を与えるという「順番」がとても重要であり、それはマザーテレサの心にも通じるものなのだと、上野先生はおっしゃいます。それはなぜか……も、ぜひ講義第3話、第4話をご覧ください。
さらに、『日本書紀』に書かれた後日談とは? また、聖徳太子が示した「弱き者の立場に立つ」という考え方の意味とは? また、そのような聖徳太子の理想が、後世に与えた影響とは? 古典を読み「知の蓄積」にアクセスすることの重要性とは?――などといったことも、上野先生はこの講義の第5話、第6話でお話しくださいます。
聖徳太子の歌を通して、「本当に大切なこと」が見えてくる講義です。ぜひご覧ください。
(※アドレス再掲)
◆特集:聖徳太子を知ればこそ「日本」がわかる
https://10mtv.jp/pc/feature/detail.php?id=124&referer=push_mm_feat
◆上野誠:「万葉集」の聖徳太子――語りかける人(1)
https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=4095&referer=push_mm_rcm2
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レッツビギン! 穴埋め問題
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今回は、「心と身体の整え方」についての問題です。ではレッツビギン。
いざ世界大会の決勝や、オリンピックでの戦いになった瞬間に、少しの差が勝負を分けるのです。
これが金メダルかどうかの差であって、最後はほとんど実力が違わない中で、「 」をどう取り戻すかがすごく重要になります。
さて「 」には何が入るでしょう。答えは以下にてご確認ください。
https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=3847&referer=push_mm_quiz
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編集後記
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今回のメルマガ、いかがでしたか。
本日はちょうど1年前の2020年7月23日に配信開始となった講義をご紹介します。
子離れ、親離れで大事なのは、「心を離さない」ということ
井口潔(九州大学名誉教授/日本外科学会名誉会長/医学博士・理学博士)
https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=3444&referer=push_mm_edt
井口先生は98歳(収録時)の医師という見地から「生物学的教育論」について解説されていますが、1年前の本日(2020年7月23日)はその第5話配信開始の日でした。
講義のなかでも特に印象に残ったのは「子育て四訓」についてのお話です。昨年9月、メルマガ内の「今週のひと言メッセージ」でも紹介しましたが、大事なメッセージなので再掲させていただきます。
「乳児はしっかり肌を離すな。
幼児は肌を離せ、手を離すな。
少年は手を離せ、目を離すな。
青年は目を離せ、心を離すな」
最後が「心を離すな」ということで、井口先生はそれが「昔からの鉄則」だといいます。
「子育て」は私たちにとって大事なテーマです。ぜひシリーズ(全9話)を通してご視聴ください。
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