編集長が語る!講義の見どころ
昭和陸軍の「本当の教訓」とは何か?/特集&中西輝政先生【テンミニッツTV】

2022/08/12

いつもありがとうございます。テンミニッツTV編集長の川上達史です。

今年も終戦の日がやってきます。今年は日中戦争の勃発から85年、ミッドウェー海戦から80年にあたります。

日本の安全保障の危機が再び高まりつつある「いま」だからこそ、日本がなぜあのような戦争に突入してしまったのかについて、深く考えるべきではないでしょうか。

本日は、昭和の戦争についての講座を集めた特集と、そのなかから、昭和陸軍の失敗の本質に迫っていただいた中西輝政先生(京都大学名誉教授)の講座を紹介します(8月12日時点で第1話配信中。第2話以降も毎週金曜日配信予定です)。

中西先生はこれまでの「昭和史理解」は大きく誤っており、それでは日本が戦争への道を歩んでしまった本当の理由もわからないとおっしゃいます。はたして、どのようなことなのでしょうか。

■本日紹介する特集:いまこそ学ぶべき「昭和の戦争」の教訓

そもそも、昭和期の日本陸軍を突き動かしていたものは何だったのかでしょうか。そして、ミッドウェーの敗因とは……。様々な角度から、昭和の戦争の教訓に学びましょう。

https://10mtv.jp/pc/feature/detail.php?id=127&referer=push_mm_feat

・中西輝政:日英同盟の廃棄、総力戦…世界秩序の激変に翻弄された日本

・山下万喜:ミッドウェー海戦の敗因…南雲忠一はなぜ決断を誤ったのか

・渡部昇一:上原勇作がいなければ昭和10年代の危機はなかった?

・猪瀬直樹:『昭和16年夏の敗戦』『昭和23年冬の暗号』が映す未来とは

・片山杜秀:知られざる皇道派の思想…その“密教”と“顕教”とは


■講座のみどころ:戦前、陸軍は歴史をどう動かしたか(中西輝政先生)

よく、「陸軍が暴走をして、日本を戦争の道に進ませた」といわれます。しかし、考えてみれば、このように「大ぐくり」に説明してしまうと、結局のところ、何もいっていないのと同じです。

当然、陸軍のなかにも、いろいろな考え方がありました。また、戦争に突入するまでに、いくつもの分かれ道もありました。

中西先生は、そこに鋭くメスを入れてくださいます。だからこそ、世界的な危機が高まり、日本の判断が問われる局面において、道を誤らないための教訓がくみ取れるのです。

◆中西輝政:戦前、陸軍は歴史をどう動かしたか(全7話)
(1)総力戦時代の到来
日英同盟の廃棄、総力戦…世界秩序の激変に翻弄された日本
https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=4566&referer=push_mm_rcm1

中西先生はまず第1話で、あの悲劇の戦争に至る大きな動因は、当時が世界史の大変動期だったことだと強調されます。

第1次世界大戦後、それまでのイギリスを中心とした世界秩序(パックス・ブリタニカ)が崩れました。日本は、「日英同盟」を安全保障の基軸にしていましたが、それも1921年~1922年のワシントン会議で廃棄されます。

しかも、国力のすべてを動員して戦争をする「総力戦」の時代になりました。また、民族自決の「ウィルソン主義」が掲げられて、中国や韓国で反日ナショナリズムが高まり、ロシア革命によって共産主義や社会主義のインパクトも増大します。

羅針盤をなくした日本は、この大転換に大いに翻弄されることになるのです。

この状況のなか、1922年に、ドイツのバーデン=バーデンで、いずれも陸軍少佐だった永田鉄山、小畑敏四郎、岡村寧次(後ほど東條英機)が集まります。東條以外は陸軍士官学校16期の同期でした(東條は17期)。彼らは、この新しい時代に、日本を列強と互角に対抗できる国にするべく陸軍と国家の革新をしていこうと誓い合います。

彼らが中心となって、陸軍内部の革新の動きが起きていきます。しかし後年、とくに永田と小畑が、戦略の相違から決定的に仲違いすることになります。

この時代の歴史を読んだことがある方であれば、陸軍の「皇道派」と「統制派」という言葉を聞いたことがあると思います。「皇道派の青年将校が二・二六事件を起こした」とも広くいわれます。

しかし中西先生は、そのような後年の歴史の描き方は、アンフェアだと指摘します。

そもそも二・二六事件の青年将校たちは尉官(少尉、中尉、大尉)クラスで、彼らと近かった皇道派の主要な軍人は数えるほうが難しいほど少なかったといいます。

実は「皇道派」と区分けされる主要な軍人は、知的で開明的な情報将校が多かったのです。

小畑敏四郎はロシア武官でロシア語もドイツ語も完璧にでき、作戦の神様といわれるだけでなく、各国について的確な知識をもっていました。さらに、後年、吉田茂のブレーンとして活躍する辰巳栄一、オトポール事件でユダヤ人を救出し、終戦時には樺太や占守島でソ連に反撃するように断固命じた樋口季一郎、スウェーデン武官で重要な機密情報をいくつもつかんだ小野寺信……。

かれらの人となりについては、ぜひ講座の第4話をご覧ください。

実は彼らは、情報将校だったこともあり、各国の情勢を正しく把握していました。対ロシア(ソ連)の情報将校を務めていた彼らは、ソ連の脅威を重視します。

しかし、統制派の筆頭である永田鉄山は、「日本を高度国防国家にするため」に、経済界や政界への工作を重ね、満洲事変の後には、資源確保のために中国本土の資源を手に入れるべきだと主張します。

一方の小畑たちは、中国本土に手を出したら、ソ連への対応が手薄になるばかりでなく、英米などとの不要な摩擦を招くことを見抜いていました。

結果的には、陸軍の派閥抗争のなかで永田鉄山は相沢三郎中佐に殺害され(1935年)、小畑敏四郎は二・二六事件(1936年)が起きた後の粛軍で予備役に編入されることになります。

その後、統制派的な考え方が主流となって中国との対立は決定的なものとなり、盧溝橋事件の後、中国軍が上海の日本軍に攻撃を加えたことで(第二次上海事変)、日中戦争の火蓋が切って落とされることになるのです。

中西先生は第6話で「一番危険な思想は、統制派の思想だった」と分析されます。そのうえで中西先生は、「高度国防国家をめざしたのは日本に限ったことではないのに、なぜ日本は失敗の道を歩んでしまったのか」について考察します。

本当の意味での国際協調は、力関係をしっかりと考えて導き出される。しかし戦前期の日本は、安易に欧米の潮流に追随する「過度に楽観的な軽挙妄動」と、その反面としての「過度に悲観的な未来観」にとらわれてしまった……。

このような様相は、現代の日本においてもよく見られるところです。「昭和の悲劇」から何を教訓とすべきか。その点を深く考えさせる必見講座です。


(※アドレス再掲)
◆特集:いまこそ学ぶべき「昭和の戦争」の教訓
https://10mtv.jp/pc/feature/detail.php?id=127&referer=push_mm_feat

◆中西輝政:戦前、陸軍は歴史をどう動かしたか(1)
https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=4566&referer=push_mm_rcm2


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レッツビギン! 穴埋め問題
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今回は「中国の文化」についての問題です。ではレッツビギン。

中国の文明というのは、黄河文明や長江文明と言われるように、河の文明です。
河の周辺、特に黄河流域に住む人たちは「漢」と呼ばれていましたが、この「漢」という字は「水辺、水の近くに住む人」という意味であり、水とは黄河のことで、その中心は洛陽であり、洛陽を中心としてこの一帯は中華ないしは(    )と呼ばれていました。

さて(    )には何が入るでしょう。答えは以下にてご確認ください。
https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=1&referer=push_mm_quiz


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編集後記
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皆さま、今回のメルマガ、いかがでしたか。編集部の加藤です。

このメルマガをご覧の方のなかにはすでに夏季休暇を取られている方もいるかもしれませんが、今年の夏季休暇は8月13日(土)から16日(火)までが基本で、その4日間は「月遅れの盆(月遅れ盆)」と呼ばれているそうです。
となると、来週もその期間になりますが、このメルマガに夏季休暇はございません。皆さまの夏休みの小さな学友として、来週は16日(火)、19日(金)に配信いたします。
どうぞよろしくお願いいたします。