編集長が語る!講義の見どころ
人間から考える「昭和の戦争」~小澤征爾の父・開作/特集&小澤俊夫先生【テンミニッツTV】

2023/08/11

いつもありがとうございます。テンミニッツTV編集長の川上達史です

戦争について、「ああしておけば、こうしておけば」と後世から評論家のように語るのは簡単です。しかし、本当にそれだけで良いのでしょうか。ウクライナ戦争が続くいま、どうしてもそう思わざるをえません。

戦争を「歴史的事実」としてだけで見ていくと、大切なことを見落としかねません。そこに「人間」がいることです。様々な立場で戦争の時代に直面し、その時代を生きた人たちが考えたこと、行動したこととは何だったのか。そこから戦争の真実が見えてきます。

■特集:人間から考える「昭和の戦争」

https://10mtv.jp/pc/feature/detail.php?id=207&referer=push_mm_feat

・小澤俊夫:満洲で「五族協和」に命を懸けた小澤征爾の父・小澤開作

・野田一夫:『きけわだつみのこえ』を読むと今でも涙が止まらない

・刑部芳則:B面だった「露営の歌」が空前の大ヒットとなった2つの理由

・渡部昇一:激しい対空砲火の中、着陸に成功した「義烈空挺隊」の最期

・井上正也:左遷をバネに勇躍する岸信介、その成長の契機に迫る

・片山杜秀:悲惨な末路につながった東條英機内閣での兼職と省庁再編


■講座のみどころ:満洲事変に深く関わった小澤征爾の父が考えたこととは?(小澤俊夫先生)

昭和のあの時代を生きた人々は、何を考え、どのように行動したのか。

その1つの事例として、指揮者・小澤征爾さんの父であり、満洲事変で「満洲青年連盟」の一員として活躍した小澤開作について取り上げたいと思います。小澤征爾さんの実兄である小澤俊夫先生(小澤昔ばなし研究所所長/筑波大学名誉教授)に語っていただいた講義です。

小澤開作は知名度は低いですが、実は満洲事変において大きな役割を果たしていました。またその活動は、当時の日本人の心意気や理想を体現したものでもありました。

「満洲事変は日本の侵略」。そう言い切ってしまうと、歴史の大事な教訓を見失いかねません。当時、満洲をめぐる情勢はまことに複雑であり、さらに日本のご都合主義的な政策や、いわゆる「軟弱外交」が大きく影を落していたからです。加えて、そこに諸外国の思惑も絡まり……。

小澤俊夫先生の洒脱な語り口に魅了されながら、当時、現場にいた日本人たちが何に直面し、何を考えていたのかを学べる講義です。

◆小澤俊夫:小澤開作と満洲事変・日中戦争(全10話)
(1)少年時代の苦労と五族協和の夢
満洲で「五族協和」に命を懸けた小澤征爾の父・小澤開作
https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=3606&referer=push_mm_rcm1

小澤征爾さんの「征爾」の字が、満洲事変を主導した板垣征四郎と石原莞爾の名前から取られていることをご存じの方もいらっしゃるかもしれません。

小澤俊夫先生、小澤征爾さん、そして俳優でエッセイストの小澤幹雄さんの父・小澤開作は、満洲事変の当時、長春(満洲国時代は新京)で歯科医を営みつつ、満洲在住の日本人の集まりである「満洲青年連盟」の一員として活動をしていました。そして、満洲事変や日中戦争に関わっていくことになります。

満洲事変直前の1931年7月、その長春の近郊で「万宝山事件」が起こります。これは朝鮮人農民が開拓していた農地や用水路を、中国人の官憲が破壊しようとしたことに端を発するものでした。

実は、満洲で日本人は厳しい排斥運動に直面していました。満洲を支配していた張学良政権は、「日本人や朝鮮人に土地を貸したり売ったりした者は、国土を盗売した者として処罰する」という「盗売国土懲罰令」まで制定していました。

とりわけ、立場の弱い朝鮮人(朝鮮併合後、日本国民として扱われていました)に対する攻撃が激しく、満洲各地で土地を奪われたり、追放されたり、監獄に入れられるケースが続出します。万宝山事件はその一例でした。

当時、満洲に日本人が居住していたのは、日露戦争後、日露間で結ばれたポーツマス条約と、日清間で結ばれた満洲善後条約(満洲ニ關スル条約)に基づくものでした。にもかかわらず、いわば国際法違反のような形で、迫害・排斥が続いたのです。

万宝山事件に直面した朝鮮人農民たちは、当時、満洲青年連盟長春支部の中心人物であった小澤開作に救いを求めます。義憤にかられた小澤開作は、満洲青年連盟を突き動かし、万宝山事件に対する抗議活動を行なうとともに、事実を広く知らせるべく演説会や日本遊説などを行なって世論を喚起していきました。

当時、日本の外務大臣は幣原喜重郎。「平和外交」を標榜する幣原は、満洲での排日運動に有効な手を打ちません。繰り返される迫害に、在満邦人の怒りと不満は高まっていました。この大きな怒りと不満が、満洲事変の大きな背景となっていくのです。

満洲事変が勃発すると、小澤開作や満洲青年連盟は積極的に支援活動を展開します。小澤開作は私費を投じて、なんと長春に飛行場を建設。さらに満洲青年連盟のメンバーとともに、満洲人や漢人に働きかけを行なっていきます。

小澤開作はじめ満洲青年連盟のメンバーたちは「民族協和」という理想を真剣に掲げ、満洲に住まうすべての人々のための独立国を建国すべく奔走。「満洲国協和会」の結成に至ります。しかし、権益主義的な軍官僚や経済官僚が満洲の地にやってきて、その理想は挫折していくことになるのです。

小澤開作の中国での活動のエピソードや、昭和史を彩る多くの軍人たちや小林秀雄をはじめとする有識者たちとの交友から、当時の雰囲気や日本人の想いが手に取るように伝わってきます。

さらに、日本に帰国した後に奔走した和平工作や、終戦の日に語った「日本人は長いこと涙を忘れてきた。これで涙を知ることはいいことだ」という言葉、そして戦後の小澤俊夫・小澤征爾兄弟との逸話などから、小澤開作の魅力的な人柄をうかがい知ることができます。

また、満洲で権益主義的だった官僚たちへの批判は終生持ちつづけていたようですが、その視点も多くを考えさせます。

なぜ、満洲事変は起きたのか。そして、理想はなぜ挫折したのか。自ら行動を起こし、様々な現場を経験することになった小澤開作の姿から、いまこそ多くを学ぶべきではないでしょうか。


(※アドレス再掲)
◆特集:人間から考える「昭和の戦争」
https://10mtv.jp/pc/feature/detail.php?id=207&referer=push_mm_feat

◆小澤俊夫:小澤開作と満洲事変・日中戦争(1)
https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=3606&referer=push_mm_rcm2


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編集部#tanka
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鳴り響くOzawa-BostonのMahlerに五族協和の未来を想う

小澤征爾さんが、多彩な人材が集うボストン交響楽団を率いて熱演するユダヤ人作曲家マーラーの交響曲第3番。その立体的なs響きに、ふと「五族協和の夢」の真の姿を想起しました。(達)
https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=3606&referer=push_mm_tanka