編集長が語る!講義の見どころ
織田信長のイメージが激変!?研究最前線を紹介/柴裕之先生(テンミニッツTVメルマガ)

2020/10/13

いつもありがとうございます。テンミニッツTV編集長の川上です。
現在、放送中の大河ドラマ「麒麟がくる」では今週、ついに織田信長が足利義昭を奉じて上洛しました。

織田信長といえば、「日本の中世から時代を一変させた革命児」「権威を利用することはあっても、従うことはない覇王」「どこまでも実力主義で、部下には酷薄な主君」「新たな経済原理を大幅に導入した経営者的為政者」「宗教勢力を弾圧した近代的合理主義者」……などといったイメージを思い描く方が多いのではないでしょうか。

しかし、最近の史料研究によって、そのような捉え方が大きく変わってきているといいます。気鋭の研究者である柴裕之先生(東洋大学文学部史学科非常勤講師/文学博士)に、新たな信長像をわかりやすくご解説いただいた講義を、本日はご紹介いたします。

◆柴裕之:天下人・織田信長の実像に迫る(全11話)
(1)戦国時代の日本のすがた
近年の研究で変わってきた織田信長の実像
https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=3477&referer=push_mm_rcm1

まず手始めに、信長といえば「天下布武」「天下統一」などといった言葉がよく連想されますが、このときの「天下」とはどのような概念でしょうか。

多くの方が「天下=日本」と思っていらっしゃることと思います。しかし、信長の時代にはそうではなかったと、柴先生はおっしゃいます。当時の宣教使などの記録を見ると、「天下」とは「都の周辺に位置する『五畿内』なる五つの領国(京都・山城国、摂津国、河内国、和泉国、大和国)」だった。つまり現在でいえば、おおよそ京都府中心部から大阪、神戸、さらに奈良県を指して「天下」と称していたというのです。

この「天下」を足利将軍が治めていた。しかし、第13代将軍・足利義輝が三好氏を中心とした勢力によって討ち取られてしまい、「天下」が混乱した。そこで、足利義昭を擁立して「天下」を静謐(せいひつ)にしようとしたのが信長だった。そう柴先生は指摘されます。

少し歴史に詳しい方ならば、「それでも、足利義昭を奉じて上洛したものの、すぐに決別して義昭を追放したのでは?」と考えることでしょう。しかしそれも、どうやら少しイメージが異なるようです。

柴先生は、たとえば次のような信長像を次々と提示されます。

●一般には、足利義昭は信長による傀儡(かいらい)だと思われているが、実態は、義昭が将軍として率いる室町幕府が、京都を中心とする五畿内で、権益の保証や紛争の解決等に当たっていた。信長は、その義昭政権を支える「連立相手」だった。

●信長に反対するものが大勢出て、義昭もそちら側についたために、信長は義昭を追放するが、その後も室町幕府将軍に足利氏の誰を据えようか、場合によっては義昭と和解して戻ってもらおうかと考えていた。

●信長は、朝廷や伝統的な宗教(寺社)勢力を排除するどころか、実際には彼らを支えていく活動を行っていた。信長が本願寺や比叡山延暦寺と戦ったのは、あくまで彼らが信長と政治的に敵対したからであって、宗教上の理由ではない。

●「信長が天皇に譲位を迫った」「朝廷を意のままにしようとした」といわれることもあるが、実際には、譲位は天皇側から持ち出したものだった。また信長は、衰微してしまった朝廷を正常な姿に是正することを求めていた。

●信長が「正二位右大臣兼右近衛大将」という高位の官職を辞し、その後、朝廷から官職を推任されても受けなかったことが「権威の否定」と語られることもあるが、信長の思いは、「自分はもうこれで降りるけれど、息子の信忠に高い立場を譲ってくれ」ということだった。

●信長は、地域支配を任せた武将たちに、最初だけは口出しするが、その後は介入せず、基本的にはすべて任せていた。武将を追放したのは「無能」だからではなかった。

●信長が同時代のさまざまな武将から反発されたのは、彼が「有姿(ありすがた=あるべき姿)」を強く求め、他者にもそれを強要する人物だったからだ。

それぞれの詳細は、ぜひ講義をご覧ください。歴史の見方が変わる講義です。ぜひご覧ください。

(※アドレス再掲)
◆柴裕之:天下人・織田信長の実像に迫る(1)
https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=3477&referer=push_mm_rcm2


----------------------------------------
☆今週のひと言メッセージ
----------------------------------------

「『プランド・ハップンスタンス・セオリー(planned happenstance theory)』って知っている?」

https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=3518&referer=push_mm_hitokoto

成功者による「プランド・ハップンスタンス・セオリー」とは
津崎良典(筑波大学人文社会系准教授)
五十嵐沙千子(筑波大学人文社会科学研究科准教授)

津崎 何、それ? 経営学でやるような?

五十嵐 そう。キャリアのね。それは何かというと、アメリカのいわゆる社会的に成功した人たちを調べていくと、最初から「わたしは、これになりたい」と思って努力してそうなった人は、成功者のなかにほとんどいない。じゃあ何なのかというと、そこにたまたまいたから「何か」やってみた。それで「何か」になって、また思いもしないようなことをする。そこでまた一生懸命、自分なりに自由に……。

津崎 キーワードは、「自分なりに」とか「自由」ということなんですね。


----------------------------------------
今週の人気講義
----------------------------------------

日本画で「写意」を表現するための「写生」とは?
川嶋渉(京都市立芸術大学 美術学部日本画研究室 教授)
https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=2010&referer=push_mm_rank

柳井正氏の年度方針「儲ける」は商売の本筋
楠木建(一橋大学大学院 経営管理研究科 国際企業戦略専攻 教授)
https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=1782&referer=push_mm_rank

なぜ音楽は時代を色濃く反映するものなのか
片山杜秀(慶應義塾大学法学部教授/音楽評論家)
https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=3007&referer=push_mm_rank

コロナ・パンデミックはいつ終わるのか、短期シナリオは崩壊
小原雅博(東京大学大学院 法学政治学研究科 教授)
https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=3657&referer=push_mm_rank

福島県が生んだ偉大な作曲家・古関裕而の魅力を語る
刑部芳則(日本大学商学部准教授)
https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=3676&referer=push_mm_rank


----------------------------------------
編集後記
----------------------------------------

編集部の加藤です。今回のメルマガ、いかがでしたか。

さて、今週の人気講義にもありますが、先週から刑部芳則先生(日本大学商学部准教授)の「古関裕而・日本人を応援し続けた大作曲家」シリーズが配信開始となりました。
「日本人を応援し続けた大作曲家」とありますが、彼は現在、放映中のNHK朝ドラ「エール」の主人公のモデルになっている人物で、早稲田大学第一応援歌「紺碧の空」の作曲家であることをご存知の方も少なくないと思います。
本日はその第3話の配信日で、刑部先生が彼のことを「努力する天才」と呼んでいます。「努力する天才」とはどういうことなのでしょうか。なんだかとっても気になりますよね。
本シリーズでは、この後、古関メロディの誕生についてや戦時歌謡、また戦後の歌についてなど、彼の魅力、古関メロディの神髄に全8話(毎週火曜日配信)で詳しく迫っていきます。
ぜひシリーズを通してご視聴いただき、なぜ古関メロディがわれわれを惹きつけたのか、そこに込められた彼のメッセージとは何か、感じて取っていただければと思います。

<ご紹介した本日の講義はこちら>
「努力する天才」が最初に世に知られたのは早稲田の応援歌
刑部芳則(日本大学商学部准教授)
https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=3678&referer=push_mm_edt