編集長が語る!講義の見どころ
日本人の古代の言葉は?「日本語」の愉しみ/特集&釘貫亨先生【テンミニッツTV】
2024/04/19
いつもありがとうございます。テンミニッツTV編集長の川上達史です。
私たちが、日々使っている「日本語」。しかし、考えてみれば「万葉集」の和歌に書かれた言葉を、現代人がほぼそのまま読んで理解できるのは、不思議といえば不思議なこと。実は、そのような言語は、世界にあまりないともいわれます。
一方、言葉の発音は大きく変わってきている部分もあります。はたして古代の日本人はどのような発音をしていたのか???
知れば知るほど心が豊かになる、絶品の「日本語」にまつわる講義集を紹介します。
■本日開始の特集:「日本語」の愉しみ
https://10mtv.jp/pc/feature/detail.php?id=233&referer=push_mm_feat
・釘貫亨:「和歌」と「宣命」でたどる奈良時代の日本語とその変遷
・渡部泰明:ぬばたまの、あしひきの……不思議な「枕詞」の意味は?
・上野誠:『万葉集』はいかなる歌集か…日本のルーツと中国の影響
・林望:形容詞の表現がスゴイ!『源氏物語』が一流の文学たる所以
・鎌田東二:未完の長編『銀河鉄道の夜』の魅力と宮沢賢治の思想に迫る
・片山杜秀先:『潮騒』と『太陽の季節』…美への憧憬vs煽情的な太陽族
■講座のみどころ:「日本語」の愉しみ
釘貫先生は、『日本語の発音はどう変わってきたか』(中公新書、2023年)を発刊され、大きな話題を呼びました。この本の帯に書かれた、《羽柴秀吉は、「ファシバ フィデヨシ」だった》というコピーは、本書への興味を大きくかき立てるものでした。
釘貫先生ご自身の興味関心の中心は、「日本語というものを世界のなかに位置づけると、どんな言葉なのか」とのこと。その観点から、日本語の歴史と特徴をさまざまに教えてくださいます。
◆釘貫亨:文明語としての日本語の登場(全6話)
(1)古代日本語の復元
「和歌」と「宣命」でたどる奈良時代の日本語とその変遷
https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=5277&referer=push_mm_rcm1
釘貫先生は、「日本語は第一級の文明言語」だとおっしゃいます。なにしろ、日本語を勉強すると、文学をはじめ、歴史、思想、文化、ビジネスも含めて、世界中の非常に多様で豊かな情報を得ることができます。この多岐にわたる情報は、日本語の歴史も含めて、それぞれ世界的な意味を持っているのです。
しかも日本語は、万葉仮名が使われていたこともあり、とてもわかりやすいかたちで残ってきました。現代人のわれわれが、早くも8世紀の言葉を、比較的にやさしく読み解ける。これは英語やフランス語ではそういうわけにいかないと、釘貫先生は強調されます。
実は万葉仮名のような感じの使い方は、5世紀からあったといいます。その証拠になるのが、埼玉県の稲荷山古墳から出土した鉄剣の銘文。ここには、人名と地名が万葉仮名で書かれているのです。
さらに、この万葉仮名的な利用法は拡大し、助詞、助動詞、名詞、動詞、形容詞など、みんな丸ごと仮名表記されるようになります。
その点で、もっともわかりやすいのが、当時の天皇の「おことば」を書いた「宣命」と、『万葉集』だといいます。
このように、文字のうえでは、現代日本人にもそのままの形で、古代に万葉仮名で書かれた文章が読めるわけですが、では、古代人が「どのように発音していたのか」はどうしてわかるのでしょうか。
「音」は消えてしまうもの。考えれば、まことに不思議なことです。
実は、それを突き止める秘密は、「漢詩との対比」にありました。
中国では、「漢詩」は科挙などの試験でも重要なものでした。読解はもちろん、自分でも縦横無尽に詩が書けないといけないのです。
「詩」ですから、韻を踏むなど、音律を整えることがとても重要になります。そのため、たとえば唐の時代の詩を十分に解釈し、唐代のような詩をつくれるよう、中国では1000年以上にわたって「音韻学」が発達していたのです。
この中国での音韻学をベースにしつつ、スウェーデン人言語学者のバーナード・カールグレンや、日本の言語学者の有坂秀世氏などが唐代の長安でどのような発音がなされていたかを復元しました。
この唐代の「発音」を、同時代の万葉仮名に当てはめれば、その発音が復元できるのです。
では、どのような発音がなされていたのか……は、ぜひ講義第3話をご覧ください。釘貫先生が実際に『万葉集』の柿本人麻呂の和歌を当時の発音で読んでくださいますが、ここはまさに動画講義ならではです。
もう1つ、そのような「音」の研究で重要なのが、『古事記』が偽書かどうかが確定したということです。
古くは江戸時代から、「『古事記』は偽書ではないか」という説がありました。それが完全に「否定」されたのです。
その決め手になったのが、「奈良時代には母音が8つあった」という事実です。そして万葉仮名では、それを使い分けていたのです。(ちなみに、この発音の違いが、現在の方言にも影響を与えているという話も講義第3話でお話しいただいています)。
そのことが『古事記』の真贋証明にどのように影響したかも、ぜひ講義本編でご覧ください。
第4話では、「いろは歌」などを例に引きつつ、平安時代の「ひらがな」「カタカナ」誕生の経緯や、当時の発音についてご説明いただいています。
さらに第5話でお話しいただくのが、『源氏物語』『枕草子』『古今和歌集』など王朝文学の表記法と、音韻変化について。実は「仮名書き」の混乱が色々な問題を招いていたというのですが……。
そこで大きな役割を果たしたのが藤原定家でした。彼がどのようなことをしたのかは、ぜひ講義第6話をご参照ください。
われわれが普段、何気なく使っている日本語のルーツを知ることは、とても興味深いことです。先生が実際に発音してくださるのを聞きながら学べるのも動画講義のメリット。ぜひご覧ください。
(※アドレス再掲)
◆特集:「日本語」の愉しみ
https://10mtv.jp/pc/feature/detail.php?id=233&referer=push_mm_feat
◆釘貫亨:文明語としての日本語の登場(1)
https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=5277&referer=push_mm_rcm2
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編集部からのお知らせ
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■弊社新入社員による「テンミニッツTV」紹介!
おかげさまで弊社もこの4月に新入社員を迎え入れました。その2名によるテンミニッツTVの紹介です。いつもの「編集部目線」ではない見地から紹介いたします。講義ご視聴の参考にしていただける部分がありましたら幸いです。
◆納富信留:ギリシア悲劇への誘い(全7話)
(5)悲劇的アイロニーと反実仮想
『オイディプス王』にみる「悲劇的アイロニー」の面白さ
https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=4347&referer=push_mm_edt
皆さま、はじめまして。今年度の新入社員です。今回は、私のお気に入りの講義を紹介させていただきます。
それは、納富信留先生の「ギリシア悲劇への誘い」シリーズです。
私は先日、友人と舞台を観ていました。その物語は悲劇なのですが、観劇中、ふと納富先生のお話が思い出されました。それは、「観客は先の展開を知っているのに登場人物はそれを知らない」という、シリーズ5回目の「悲劇のアイロニー」のお話です。
実は、私は「悲劇のアイロニー」論に対し、「どの劇でも登場人物は基本的に先の展開を知らないのだから、このアイロニーの構図は悲劇に限らないのでは?」と考えていました。しかし観劇後、やはり納富先生が仰っていたアイロニーの構図は、悲劇だからこそ活きるのだと感じました。
私が観劇した作品は、前編で悲劇が起き、後編はあまり起伏がなく、登場人物が悲劇の裏側を語るという内容になっています。
前編では、主人公に取り返しのつかないことが起きるさまを、観客はハラハラしながら見守ります。まさに、悲劇のアイロニーの構図なのですが、私はその構図の効果をそこまで感じていませんでした。
しかし、起伏のない後編を観て、前編の悲劇のアイロニーが「物語にとって重要だった」と気づきました。
鑑賞後、友人が後編を「心臓に優しかったね」と言いました。たしかに前編と比べて、ハラハラすることなく鑑賞できます。にもかかわらず、2人の共通の意見は「後編を観ると、前編がまた観たくなる」でした。つまり、心臓に悪いとわかっていても、悲劇的な展開を求めてしまうのです。
この作品を鑑賞して、後編のように登場人物が展開を知っていると悲劇にならず、観客のカタルシスも起こりにくいことがわかりました。
今回の観劇では、納富先生の「悲劇のアイロニー」の講義を学んでいたことで、観劇時に後編に抱いた感想や前編に惹かれる気持ちを深く理解することができたように思いました。
テンミニッツTVの講義を見ることで、いろいろな気づきを得ることができ、世界がより面白く感じられることを実感しました。皆さまもぜひご覧ください。
◆行徳哲男:松岡修造はなぜあれほど熱いのか~心の師匠が語る
錦織圭も通った「修造チャレンジ」、持つべきは男の資格
https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=494&referer=push_mm_edt
今回紹介させていただくのは、テニスプレーヤー松岡修造氏が“心の師”と仰ぐ行徳哲男氏が、「松岡修造の強さ」の秘密を語る講義です。
この講義では、松岡修造氏が心身ともに絶不調のスランプから脱するために、いかに「自分との戦い」をされたかをお話しいただいています。
この講義で特に共感したのが、「我(われ)がまま」ということです。
「わがまま」と、「我(われ)がまま」で何が違うのか。それは感情を制御して、相手を尊重できているかどうかです。
感情的になることが感性だと勘違いしている人が多いけれども、やたらと怒り狂ったりしても遺恨が残るだけ。感情をどれだけカルチャライジング(洗練、修養、訓練)するかで決まるというのです。
私の先輩でオリンピック金メダルを獲得した方がいました。その方は、たとえ自分が相手に嫌われていても、相手に感謝を忘れずに伝える優しい方でした。
「戦う相手は敵じゃない、自分です」。ある取材でそう堂々と答える先輩を見て、真に強い人は優しさだけでなく、「自分らしさ」をもっているものだと感じました。
未だに自分は「我(われ)がまま」になりきれているとはいえませんが、誰が相手でも優しさを忘れないことを常に心に留めたいと思いました。この講義で「我(われ)がまま」の精神に触れていただければ、嬉しいです。
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テンミニッツ・アカデミー編集部