編集長が語る!講義の見どころ
新しい一万円札を眺めながら、渋沢栄一について学ぶ/渋沢雅英先生【テンミニッツTV】

2024/08/16

一万円札、五千円札、千円札……。お札が変わって、1カ月あまりが経ちました。新札を一度は手にされた方も多くなってきたのではないでしょうか。

新しいデザインのお札を手にすると、予想以上に新鮮な感じを覚えるものです。

一万円札は昭和33年(1958)に発行されたのが最初です。いうまでもなく肖像は聖徳太子でした。その後、福沢諭吉に肖像が変わったのが昭和59年(1984)のこと。それから40年ぶりに、渋沢栄一に肖像が変更されたわけです。

しかし、考えれば考えるほど、いまこの時代に渋沢栄一が一万円札になったことは非常に意義深いことだったと思います。渋沢栄一が日本に確立した資本主義の精神、500社にも及ぶという起業への関与、日米関係・日中関係への貢献、社会福祉事業への献身……。

テンミニッツTVでは、渋沢栄一の曾孫にあたる渋沢雅英さんの講義を配信しています。

渋沢雅英さんは1925年のお生まれ。渋沢栄一の孫で、栄一の跡取りとなった渋沢敬三の嫡男でいらっしゃいます。渋沢栄一が1931年で亡くなったときに6歳でした。

渋沢雅英さんは、渋沢栄一の巨大な生涯の全体像がみごとに浮かび上がる講義をしてくださいました。この講義をご覧いただくだけで、渋沢栄一の勘所をご理解いただけます。

手に入った新しい一万円札を眺めながら、あらためて渋沢栄一の講義を学ぶと、「渋沢栄一(=一万円札)」との縁も深まるかもしれません……。

◆渋沢雅英:曾孫が語る渋沢栄一の真実(全7話)
(1)ゆかりの地で聞く「奇跡の10年間」
渋沢栄一の曾孫が明かす「日本資本主義の父」の真実
https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=3841&referer=push_mm_rcm1

埼玉県の豪農に生まれ育った渋沢栄一。西洋列強の進出に脅威を抱いて尊皇攘夷運動を志し、高崎城の乗っ取りや横浜焼き打ちを企てたのが23歳(文久3年・1863年)。

その後、平岡円四郎との出会いなど数奇な縁で一橋慶喜の家臣となり、慶喜の弟の徳川昭武の随員としてパリに赴き、資本主義の精神にふれて帰国。その後、明治2年(1869年)に明治政府に請われて出仕し、さまざまな改革で大活躍した後、大蔵省を辞して、第一銀行を開業したのが33歳(明治6年・1873年)のことでした。

渋沢栄一が明治2年から6年までのわずか4年間の財務省時代に携わった国づくりの案件も、まことに膨大でした。

度量衡の改正、全国の測量、郵便制度の創設、鉄道敷設、蚕業と絹産業の保護と支援、関税率の制定、新貨条例や国立銀行条例の起草、貨幣制度や銀行制度の整備、さらに廃藩置県までの多種多様な改革は、渋沢栄一の力なしには成し遂げられなかったといわれます。

農民出身の栄一が不思議な縁に導かれるようにパリにまで行くことになり、そして近代日本の礎となる改革を次々に行なった後、銀行家となり、日本の資本主義を率いていく立場となる……。それがわずか10年でなされたことを、渋沢雅英先生は「奇跡の10年間」とおっしゃいます。

なぜ、その奇跡が実現したのか。渋沢雅英先生は、その過程を生き生きとご解説くださいます。

そして渋沢栄一は、500社以上の会社の設立に関与していくわけですが、経済人としての渋沢栄一のエピソードとして有名なのは、三菱財閥の創業者である岩崎弥太郎との対決です。渋沢栄一と岩崎弥太郎は、お互いの経済思想の違いもあって、1882年ごろに激烈な競争を行ないます。

ところで実は、渋沢雅英先生のご母堂は、岩崎弥太郎の孫です。つまり渋沢雅英先生は、渋沢栄一と岩崎弥太郎の両方の曾孫にあたるわけです。そのお立場から、この両者をどのように見ておられるのか。また、両家がいかに結婚に至ったのか。それらについての秘話も、本講座ではお話しいただいています。

さらに、渋沢栄一で忘れてはならないのは、「国民外交」できわめて重要な役割を担っていたことです。昭和2年にアメリカから約1万2000の「青い目の人形」が贈られてきた交流事業に力を尽くしたことも知られますが、それは渋沢栄一の国際的な活動のごくごく一部。非常に幅広いネットワークを、諸外国とも結んでいました。

実は渋沢雅英先生は『太平洋にかける橋』(読売新聞社、1970年。復刻版は不二出版、2017年)という書籍を執筆しておられます。この本は、渋沢栄一がいかに、アメリカや中国との関係構築に尽くしたかを調べ上げた、まことに素晴らしい1冊です。

たとえばアメリカとの関係でいえば、渋沢栄一の交友録だけではなく、その一方でアメリカでどのような人物が「日本脅威論」をぶち上げていたかも調べ、いかにアメリカの排日の世論が形成されていったかも詳細に解き明かしています。

この渋沢雅英先生の1冊を読めば、戦前の日米交流史がストンと腹に落ちること間違いない名著ですが、テンミニッツTVの講義では、そのさわりをお話しいただいていますので、まさに必見です。

さらに渋沢は、中国とも「国民外交」を展開し、袁世凱や蒋介石などとも深く交流しました。蒋介石は、渋沢栄一が死去したとき、ちょうど満洲事変が勃発していた時期だったにもかかわらず、会議中に「隣の国の大人物がいなくなってしまったから、悲しみましょう」といって黙祷を捧げたといいます。

現在、アメリカそして中国に、渋沢ほどの深い人脈を張り巡らせている人がどれほどいるでしょうか。渋沢栄一の人間力の巨大さをしみじみ感じます。

もちろん講義では、渋沢栄一の魅力的な人物像も、存分に描かれていきます。いまこそ、日本によみがえらせるべき人物像を、ぜひご覧ください。


(※アドレス再掲)
◆渋沢雅英:曾孫が語る渋沢栄一の真実(1)
https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=3841&referer=push_mm_rcm2


----------------------------------------
編集部#tanka
----------------------------------------

あの日より79年の風吹きて靖国に数多柏手の音

政治家の誰々が靖国参拝をしたというマンネリニュースの一方で、今年も多くの方々が靖国神社を参拝されました。先人を忘れず、感謝を捧げることの大切さを、しみじみ想います。(達)
https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=979&referer=push_mm_tanka