編集長が語る!講義の見どころ
自民党総裁選~保守、ポピュリズム、ファシズムを考える/片山杜秀先生【テンミニッツTV】
2024/09/06
いつもありがとうございます。テンミニッツTV編集長の川上達史です。
自民党総裁選、そして立憲民主党代表選挙の話題が盛り上がっています。各候補者を誰が推しているのか。それぞれの政策がどのようなものかなどについて、多くの報道がなされています。
しかし、いまここで、あらためて考えておくべきは「保守、ポピュリズム、そしてファシズム」の問題ではないでしょうか。
いうまでもなく、「保守」と「ファシズム」は本質において対極的な思想です。しかし、日本では戦前のイメージもあり、混同されがちでもあります。
いうまでもなく、自民党は「保守政党」です。立憲民主党でも「もっと保守や中道にウイングを広げたほうがよい」ともいわれます。では、その「保守」のあり方をどう考えるか。ポピュリズムやファシズムに陥る危険性はないのか。
本日紹介するのは、片山杜秀先生(慶應義塾大学教授)が石原慎太郎と三島由紀夫と近衛文麿を対比させて論じてくださった鋭い切り口の講義です。
石原慎太郎と三島由紀夫の芸術論があざやかに浮かび上がるとともに、保守とポピュリズム、そしてファシズムの本質と危険も明確になる、まことに興味深い内容です。
◆片山杜秀:石原慎太郎と三島由紀夫と近衛文麿(全9話)
(1)政治家・石原慎太郎の源流と核の問題
都知事、非核三原則…1970年・30代の慎太郎が書いていたこと
https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=4494&referer=push_mm_rcm1
この講座の全貌をご紹介すべく、2話以降のタイトルも書き出してみましょう。
◆(2)都知事・石原慎太郎への時代的経緯
学生闘争の街頭封鎖に知事の力で対峙せよ…国家革新の論理
◆(3)価値紊乱者・石原慎太郎と戦後派の時代
価値紊乱者たれ…「生命的な実感」の重視と旧世代への反逆
◆(4)三島と石原の芸術性は対極的
『潮騒』と『太陽の季節』…美への憧憬vs煽情的な太陽族
◆(5)セクト化する三島と大衆動員する石原
慎太郎がスポーツや五輪を強調した理由…大衆の欲望の解放
◆(6)石原慎太郎は保守主義かファシズムか
「石原と小田実って全然同じ人間だよ」…保守とは何か?
◆(7)石原慎太郎と近衛文麿の政治手法
『「NO」と言える日本』と「英米本位の平和主義を排す」と
◆(8)大衆の人気に頼る政治家の失敗
日中戦争、大政翼賛会…近衛に学ぶポピュリズムの自縄自縛
◆(9)ポピュリズムに陥らないために
情動に訴えるのではなく、思想性と理性と教養を回復しよう
まず片山先生は、1970年に発刊された『慎太郎の政治調書』(講談社)という本をご紹介くださいます。この本は、石原慎太郎が1968年に参議院議員になってから週刊誌に連載していたコラムをまとめた一冊ですが、すでにこの時点で、石原慎太郎が「都知事をめざすこと」が予見される内容や、現代の情勢にも通じるような「核兵器についての議論」が展開されているのです。
そして第3話から、三島由紀夫と対比させつつ、石原慎太郎の芸術について深掘りされます。
片山先生が注目するのは、デビュー当時の石原慎太郎が好んで使ったという「価値紊乱者(かちびんらんしゃ)」という言葉です。
石原慎太郎は、従来の経緯を踏まえて物事を判断していく「大人の論理」を軽蔑し、自らの「生命的な実感」を重んじて、煽情的かつ衝撃的にその「実感」を礼賛するような作品を次々と発表します。まさに戦前から戦後体制につながる価値観を嘲笑し、かき乱して、「太陽族」的なイメージを打ち出したのです。
石原慎太郎の芸術のスタイルは、大衆の中にある欲望を解放してみせ、また、強い敵にあえて挑んでみせて、大衆の喝采を浴び、大衆を動員していくスタイルだったと、片山先生は分析されます。
そのような芸術のあり方は、三島由紀夫と対極的なものでした。片山先生は、それを三島由紀夫の『潮騒』(1954年)と石原慎太郎の『太陽の季節』(1955年発表)を比べることで論じていきます。
この二つの作品は、いずれも海を舞台に若者の恋愛を描きますが、三島由紀夫は日本では失われたような古代の美意識への憧憬のような世界を描き出した。一方で石原慎太郎は、性と暴力の入り乱れた若者の現代的で遊戯的な風俗を描いてみせた。
この両者の違いは、政治性にも表れます。石原慎太郎が参院選全国区に自民党から出馬し、大衆の人気を集めてトップ当選したのに対し、三島は「楯の会」を結成して、先鋭的なセクト化の方向に歩を進めるのです。
ところで、「価値紊乱者」である石原慎太郎は、本当に保守といえるのでしょうか?
実は、三島由紀夫は「石原と小田実は、同じ人間だよ」と喝破してもいました。また、これは猪瀬直樹先生が書いていることですが、東京都の行事で君が代を歌う機会があった折に、石原慎太郎は「きみがよは」のところを「わがひのもとは」と歌っているようであった、ともいわれます。
石原慎太郎の保守的と見える数々のパフォーマンスの意味とはどのようなものだったのか。片山先生は「保守的なのかファシズム的なのか」という刺激的な問題提起もされます。それらが論じられる第6話も必見です。
さらに片山先生は、石原慎太郎と近衛文麿を対比させます。石原慎太郎は、肉体的な直感を重んじて強者に挑みかかる政治的主張を繰り広げ、人気を博します。
日米摩擦の真っ最中に発刊された『「NO」と言える日本』はそれを象徴する一冊でした。
この本で石原慎太郎が「日本の半導体がなければアメリカのミサイルの精密性は保てない」と恫喝的に語ったことは一躍有名となり、快哉を叫ぶ日本人も多く現われました(当時の日本の半導体の優位は、今となっては信じられぬほどの話ですが)。
一方、近衛文麿は、第1次世界大戦後に設立された「国際連盟」を多くの日本人が礼賛している風潮を強烈に批判する「英米本位の平和主義を排す」という論文を書いて、大衆的な人気を獲得します。
ここで近衛文麿は、次のように主張しました。
《アメリカやイギリスは、自由主義や平和主義のような国際的な価値、普遍的な価値を自分たちが代表しているかのようにセットにすることによって、自分たちのアドバンテージを無限に、当たり前のように見せかけているにすぎない。英米が自分たちのポジションを永遠に保ち続けるために言っている論法に日本人が喜んでいてどうするのだ。どこまで行ってもいいようにされてしまうのではないか》
そんな主張を展開した近衛文麿と石原慎太郎から見えてくるものこそ、ポピュリズム政治の実像と限界です。片山先生は、第8話で、その諸相を論じます。
近衛も石原も、議会では自前の勢力を持たなかった。だから大衆人気に頼らざるをえなかった。たとえば、近衛の場合は自分の支持基盤の弱さを打開し、大衆の支持に立脚して軍部を抑えるために「大政翼賛会」を構想するも、挫折してしまいます。大衆の人気を維持するために、弱腰になれないことの弱点とは何か。
それを詳細に論じたのち、第9話ではポピュリズムに陥らぬために「情動に訴えるのではなく、思想性と理性と教養を回復すること」の重要性を訴えるのです。
石原、三島、近衛の3者の比較により、現代日本の時代状況お明確に見通せるようになる、珠玉の講座です。ぜひご覧ください。
(※アドレス再掲)
◆片山杜秀:石原慎太郎と三島由紀夫と近衛文麿(1)
https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=4494&referer=push_mm_rcm2
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編集部#tanka
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精神科医の斎藤環先生は、日本社会が成長しないなかで育った若者が「成長志向を持てない」のは不思議ではないとおっしゃいます。そんなギャップを知るか知らぬかだけでも大違いです。(達)
https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=5382&referer=push_mm_tanka
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