編集長が語る!講義の見どころ
生と死とは?人生の幸せとは?山上憶良「沈痾自哀文」から考える/上野誠先生【テンミニッツTV】
2024/09/20
いつもありがとうございます。テンミニッツTV編集長の川上です。
今年の秋のお彼岸は、9月19日(木)から9月25日(水)までです。9月22日(日)が「秋分の日」ですが、秋分の日はいうまでもなく「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ」祝日です。
亡くなった人々をしのぶことは、同時に、自分の生き方について考えることでもあるでしょう。そのような折に、あらためて東洋的な死生観を考えてみるのはいかがでしょうか。……と、その前に。
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詳しくは、ぜひ下記アドレスをご参照ください。
https://10mtv.jp/new_page.php?hash=ZRLSCqzOP1&referer=push_mm_new_function
■生と死とは?人生の幸せとは?……山上憶良「沈痾自哀文」から考える(上野誠先生)
本日は、上野誠先生(國學院大學文学部日本文学科教授(特別専任)/奈良大学名誉教授)が、山上憶良の「沈痾自哀文(ちんあじあいぶん)」をご解説くださった講義を紹介いたします。
山上憶良といえば、いうまでもなく『万葉集』を代表する歌人ですが、晩年の憶良が病の苦しみに直面しつつ、切々と生と死への想いを吐露したのが「沈痾自哀文」です。
講義のなかでは、宮崎駿さんの「君たちはどう生きるか」、さらに話題を集めた映画「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。」、ミュージカルの「キャッツ」などにも言及しつつ、生と死について深く考察されていきます。はたして、山上憶良がたどり着いた境地とは?
◆上野誠:山上憶良「沈痾自哀文」と東洋的死生観(全4話)
(1)因果応報と日本仏教の課題
山上憶良が「沈痾自哀文」で問いかけた因果応報の問題
https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=5415&referer=push_mm_rcm1
上野誠先生は、まず山上憶良の人となりや、『万葉集』における位置づけをご紹介くださいますが、そこはぜひ、講義第1話をご覧ください。そのうえで、「沈痾自哀文」が一体どういうものかについて、次のように概説します。
《70歳を過ぎて身体が言うことをきかなくなった中で、自分の人生を振り返りつつ、人間にとっての幸せとは何かを考えたものです。この文章を読んでいると、人間とはどういうものかを考えさせられます》
では、どのような文章なのでしょうか。上野先生はご自身の訳で紹介くださいます。まずはその冒頭部。
《いわんや、自分自身は、世に生を受けてからこのかた今日に至るまで、自ら善い行いをしようという志を持ち、仏さまにもお祈りし、一度も悪行をなすとの心を持ったことなどなかった。仏法僧の三宝を礼拝したし、一日たりとてお勤めを休んだ日などなかった。さらには百神を尊び重んじて、祈りを欠く夜などほとんどなかった。あぁ、なんという辱めを今受けていることか。私はいったい何の罪を犯したというのか、このように重い病に至ったということは》
仏教においては因果応報という考え方がある。では、因果応報とはどういうことか。善いことをすれば善い報いがやってきて、悪いことをすれば悪い報いがやってくるという教えである。なのに、なぜ……。
それが山上憶良が直面した「問い」でした。
この問いは、実は4世紀の中国の知識人・戴逵(たいき)が問うたことでもありました。山上憶良はそれを踏まえつつ、自身の考察を進めていったのですが、上野誠先生はその背景となる仏教の考え方もご解説くださいます(第2話)。
そして「キャッツ」「君たちはどう生きるか」「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。」の印象を交えつつ山上憶良の問いについて考えていきます。
実は、山上憶良が到達した境地は「人間というものの価値は、生きているところにしかない」というものでした。上野誠先生の訳で見てみましょう。
《天地の大徳は生であると言うではないか――。故に、死したる人は生きている鼠にも及ばない。王侯と言っても、いったん息の根が絶えてしまえば、積み上げた金がたとえ山のごとくにあったとて、誰が裕福だと認めてくれるのか。権力が大海のごとくにあったとて、誰が貴んでくれようか。(中略)だからこそ、生が極めて貴く、いのちに至っては、はなはだ重いということに思いをいたすのである》
努力しても報われない人がいる。努力しないのに報われている人もいる。しかしそのようななかで「何をもって幸せとするのか」と上野先生は問います。そして、そのような思索を続けることが「生涯学習」だと喝破するのです。
人の生と死について、また人生の因果について、自分のこともふりかえりつつ、様々に思いをめぐらせることができる講義です。ぜひご覧ください。
(※アドレス再掲)
◆上野誠:山上憶良「沈痾自哀文」と東洋的死生観(1)
https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=5415&referer=push_mm_rcm1
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編集部#tanka
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https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=5177&referer=push_mm_tanka
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