編集長が語る!講義の見どころ
日本の名著~いまこそ夏目漱石三部作を読む/特集&與那覇潤先生【テンミニッツTV】

2025/03/07

いつもありがとうございます。テンミニッツTV編集長の川上達史です。

「名著」は時代を映す鏡であり、折々の日本人の姿と、各々が抱える課題を、あざやかに浮かび上がらせるものでもあります。

それぞれの名著が含み持っていたメッセージとはいかなるものか。また、現代の日本人はそれらの名著から何を受け取ることができるのか。今回は、日本社会と名著の接点を、深掘りして探っていく講義を集めた「特集」を紹介します。


■特集:日本の「名著」をひもとく

https://10mtv.jp/pc/feature/detail.php?id=258&referer=push_mm_feat

◆與那覇潤先生:修善寺の大患…反知性主義の時代に夏目漱石を読み直す意味

◆鎌田東二先生:未完の長編『銀河鉄道の夜』の魅力と宮沢賢治の思想に迫る

◆片山杜秀先生:生誕100年、司馬遼太郎、遠藤周作、池波正太郎の世界に迫る

◆片山杜秀先生:『潮騒』と『太陽の季節』…美への憧憬vs煽情的な太陽族

◆與那覇潤先生:『「甘え」の構造』への誤解…実は甘えを許さない日本人?

◆與那覇潤先生×呉座勇一先生:誤解された『タテ社会の人間関係』…日本社会の本質に迫る


■講座のみどころ:反知性主義の時代に夏目漱石の前期三部作を読み直す意味(與那覇潤先生)

本日は、與那覇潤先生が夏目漱石の前期三部作(『三四郎』『それから』『門』)を現代的に読み解いてくださった講義を紹介いたします。

この講義の1つの主題は「反知性主義」です。與那覇先生はこうおっしゃいます。

《反知性主義と呼ばれるような振る舞いを示す大統領が、選挙をしても何回も選ばれてしまう。いったいこの世の中、どうなってしまったんだと。21世紀というのはもっと人類にとって非常に輝かしい時代になるはずではなかったか、というふうに考えておられる方が、きっと多くいらっしゃるのではないかと思います》

「頭を使えば使うほど今の世界はおかしいのだと思い詰めてメンタルが苦しくなってしまう人の、いわば大先輩が夏目漱石ではなかったか」と與那覇先生は指摘します。だからこそ、もう一度読み直すべきではないかと。

はたして、どのようなことなのでしょうか。

◆與那覇潤先生:いま夏目漱石の前期三部作を読む(全9話)
(1)夏目漱石を読み直す意味
修善寺の大患…反知性主義の時代に夏目漱石を読み直す意味
https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=5692&referer=push_mm_rcm1

漱石の『三四郎』『それから』『門』が三部作と呼ばれるのは、1908年、1909年、1910年とテンポよく連続して発表されたから。また、それぞれ主人公は別の人なのですが、あたかも前の作品の主人公が、そのあと生きていたらどうなったかを描くように書かれているからです。

夏目漱石は、当時のインテリ中のインテリでした。しかし一方、メンタルの面で非常に苦しんだ作家でもありました。

第1話で與那覇先生は、江藤淳の文芸批評を引きながら、なぜ夏目漱石が東京帝大などで教鞭を執ることをやめて、朝日新聞に入社して作家の道に進んだのかについて、つぎのように読み解きます。

《大学の給料で食べていこうとすると、たくさん授業を掛け持ちしなければいけなくて、その上小説も書かなければいけないから、いくら漱石でも「忙しすぎて、神経衰弱になってしまうのである」。それに対して世の中では、だったら小説など書かなければいいじゃないか、といってくる人もいるだろうが、「しかし、近来の漱石は何か書かないと生きている気がしないのである」》

では、「自分の頭を使って考え、こうなのではないですかと書こうとする人ほど、なぜメンタル的に追い込まれてしまうのか」。「反知性主義的でメンタルが追い込まれる社会で、夏目漱石をどう読めるのか」。

それが今回の與那覇先生の講義の1つのテーマとなります。

第2話は夏目漱石の人となりを見ていきます。そして第3話から『三四郎』の紹介と分析に入ります。

『三四郎』はどのような小説か。その背景について、與那覇先生はこうおっしゃいます。

《漱石の言葉では「明治の思想は西洋の歴史にあらわれた三百年の活動を四十年で繰り返している」と書いています。つまり、ヨーロッパではゆっくり時間をかけて起きた近代化が、日本ではものすごいスピードで急速に起きていて、そこに地方から東大に受かって東京へ来て、その中に放り込まれた三四郎という青年が何を目撃するのか、こういう形で書かれているのが『三四郎』という小説です》

さらにこの『三四郎』は、今風に言うと、東大生ユーチューバー的なもので、「九州から東大に入ってみたんですけど、こんな感じなんですよ」というようなものだ。おそらく、それが読者に非常に受けたのではないのか、と。

続く、『それから』の主人公は長井代助ですが、この人は、明らかにうつっぽい人物です。この小説の背景に流れているのは、実力主義的・競争社会的な気風と、そこに乗り切れずにニート的になっていく人物との葛藤です。

與那覇先生は次のように分析します。福沢諭吉は「門閥制度は親の敵(かたき)でござる」といい、自由な競争社会が開かれたことを寿(ことほ)いだ。そこから30歳以上年下の夏目漱石になると、結局、成功した人も「運で成功しているだけではないか」と思うようになり、それが偉いのか、と思ってしまう。しかも、社会主義の隆盛につながるような社会矛盾も噴出しはじめて……。

『それから』の後半で、主人公の代助は、自分の心身不調の原因は「三千代という女性を昔から好きだったのに、彼女を親友に譲ってしまったのが原因ではないか」と考えるようになります。そして親友に「彼女を譲ってくれ」と頼み込む。これが略奪愛となって、結果として実家からも勘当されることになります。

そしてこの小説は、「代助は自分の頭が焼け尽きるまで電車に乗って行こうと決心した」と描かれるところで終わります。與那覇先生はこのエンディングは、『三四郎』では「これから東京大学に入るぞ」という、ある種の希望を持って電車に乗っていることとの対比になっているとして、次のようにおっしゃいます。

《まさに、頭が良くなりさえすれば、世の中は良くなる、あるいは自分は幸せになる、ということを言われて電車に乗ってみたけれども、世の中も自分も全然そうなっていないのです。けれども、結局、自分はこのまま行くしかないのだということを表明しているのです》

そして前期三部作の最後の『門』です。この小説の主人公・野中宗助は、せっかく京大に入って、好きな人と結婚したのに、それが略奪愛であったがためにいろいろなことがうまくいかない人物です。そして、自分はもう神経衰弱だと自認してもいます。

與那覇先生は、宗助のとあるエピソードを紹介されます。それは、宗助が「どのような易しい字でも、ずっと見ていると『この字でいいのか、この字である必然はあるか』と考えて不安になってしまう」描写です。

このことについて與那覇先生はこうおっしゃいます。

《物事に根拠を求めることが、人を不幸にしている。大学へ行けば行くほど、文明を身につければ身につけるほど、自分の頭で考えようとすればするほど、人は実は不幸になっていくのではないか。これが、この『門』という小説に漱石が込めているメッセージといっていいのではないか》

結局、いろいろとあってたまらなくなってしまった宗助は、小説の最後のほうで、奥さんに「少し脳が悪いから、一週間ほど役所を休んで遊んで来るよ」といって、鎌倉のお寺で禅の体験修行をすることになります。

とはいえ、もちろん悟りを開くということはありません。しかし、そこでの宗助のとある体験を通じて、「とにかく地に足の着いた生活を繰り返すほうが、悟りに近い充実した生き方であり、心の平安が得られるのではないか」ということを漱石は伝えようとしているのではないか。そう、與那覇先生は指摘されます。

もちろん、上記の紹介は、與那覇先生のご指摘のごく一部。與那覇先生のご指摘の数々が、じんわりと胸に響いてきます。いろいろと考えさせられ、あらためて漱石の作品に手を伸ばしたくなってくる講義です。ぜひご覧ください。


(※アドレス再掲)
◆特集:日本の「名著」をひもとく
https://10mtv.jp/pc/feature/detail.php?id=258&referer=push_mm_feat

◆與那覇潤:いま夏目漱石の前期三部作を読む(1)
https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=5692&referer=push_mm_rcm2


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編集部#tanka
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破裂するいまの世界をどう見るかアリストテレスに聞いてみたくなる

3月7日はアリストテレスが亡くなった日(紀元前322年)。千々に爆発するがごとき現代世界を、アリストテレスならどう見るか。空想したくなります。(達)

https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=2149&referer=push_mm_tanka