編集長が語る!講義の見どころ
AI時代に必要な「人間の教養力」/與那覇潤先生&特集【テンミニッツTV】

2025/06/27

いつもありがとうございます。テンミニッツTV編集長の川上達史です。

もはや有無をいわさず、どんどんと社会の「AI化」は進んでいます。それに合わせて、少しずつ人間のやるべきことも変わってきているようにも思われます。さらにいうなら、うかうかしていると人間のなすべき領域がどんどん狭まって……ということにもなりかねません。

しかし逆説的に考えるなら、AIの時代だからこそ、人間は、より人間らしくなれるのかもしれません。AIが実装されていく時代においては、受験勉強のような暗記型学習の必要性は大きく後退し、真の意味で「考え」「感じ」「心を動かし」「見つけ出し」「見抜く」ことが必要となることでしょう。

その意味では、いまこそ再び、「教養復興」の時代といえるのではないでしょうか。そのような観点から、今回は様々な角度から「教養」「考え方」「視点」などについて考えることができる講義をピックアップしてみました。

■特集:AI時代に必要な「人間の教養力」

https://10mtv.jp/pc/feature/detail.php?id=264&referer=push_mm_feat

與那覇潤:江藤淳と加藤典洋――AI時代を生きる鍵は文芸評論家の仕事

川上浩司:「不便益」とは何か――便利の弊害、不便の安心

板東洋介:本居宣長が考えた「もののあはれ」と倫理の基礎

樋口隆一:中世ヨーロッパの基礎的な学問「7自由学科」の一つが音楽

納富信留:日本発!危機の時代に始動する世界哲学プロジェクトの意義

田口佳史:なぜ「欲」が大切なのか…「肉体」がないことがAIの弱点

西垣通:ChatGPTは考えてない?…「AIの回答」の本質とは


■講義のみどころ:江藤淳と加藤典洋――AI時代を生きる鍵は文芸評論家の仕事(與那覇潤先生)

本日は特集のなかから、「AI時代に甦る文芸評論」という見地から、江藤淳と加藤典洋の2人についてとても興味深い視点をお示しいただいた、與那覇潤先生(評論家)の講義を紹介いたします。

いうまでもなく江藤淳も加藤典洋も、文芸評論家の巨頭です。江藤淳が生きた時代は、昭和7年(1932)~平成11年(1999)。加藤典洋は昭和23年(1948)~令和元年(2019)。それぞれの文芸評論は、大いに時代を牽引しました。

最近は、文芸評論を目にすることが少なくなってきたようにも思われます。しかしかつて、世の中に向けて論を発する人にとって、文芸評論は「必須科目」ともいうべきものでした。

與那覇先生は次のようにおっしゃいます。

《文学をよりよく読むことができる人は、文学を通じて、人間とは何なのか、今どんな世の中が生まれているのか、私たちはどんな時代に生きているかということを描き出すことができる人なんだ。だから文学を評論するということは非常に重要なんだと思われた時代があった》

翻って「AI時代」の現在を考えると、要約ならばいくらでも「AI」でできます。あるいは、たとえば夏目漱石の未完の小説の続きをAIに書かせたら、漱石風に書いてくれさえします。

そのような時代に、なぜ文芸批評なのか?

與那覇先生は、今回の講義で次のような問題提起をされます。「AIには決して代わることができない仕事とは?」と考えていくと、実は再び文芸評論に光が当たってくるのではないか。そしてその手法から、AI時代の「リアル」の形が浮かび上がってくるのではないか。

まことに刺激的な視点といえましょう。

◆與那覇潤:AI時代に甦る文芸評論~江藤淳と加藤典洋(全7話)
(1)AIに代わられない仕事とは何か
江藤淳と加藤典洋――AI時代を生きる鍵は文芸評論家の仕事
https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=5842&referer=push_mm_rcm1

「AI時代にリアルとは何か?」という観点で、まず與那覇先生は、江藤淳の「リアリズムの源流」という評論を採りあげます。

江藤淳は、高浜虚子の「写生趣味と空想趣味」という文章を引きながら、正岡子規とその弟子の高浜虚子のそれぞれの「リアリズム」に着目します。

たとえば、夕顔の花が咲いているとします。ここで正岡子規は、「目の前に咲いている夕顔だけを見て、これをリアルに描写するのが写生であり、新しい俳句」だと考えます。しかし高浜虚子は「夕顔といえば『源氏物語』に出てきた人物で……というように空想を広げていくものではないか」と考えるのです。

高浜虚子の立場は、たとえば川中島などの古戦場でかつての風景を脳内で想起するようなものです。一方、正岡子規は「そういうものを切り捨ててこそ、新しい俳句ができる」と考えるのです。

ここで與那覇先生は、現在、名所旧跡で「ポケモンGO」に熱中している人たちを例に引きつつ論じていくのですが……。その詳細は、ぜひ講義本編でご覧ください。

また與那覇先生は、江藤淳が提示する次のような例もご紹介くださいます。水泳大会で、記録タイムを樹立した選手がいた。しかしその優勝タイムという客観的データに「意味」があるのだろうか。そのようなもので、われわれは真の感動を覚えるのか。むしろ、その時間の背後に込められた想い、努力、奮闘に意味があるのではないか。

このような江藤淳の視点から、與那覇先生は「リアリズム」のあり方について議論を進めていきます。何が真のリアリズムなのか。これはAI時代だからこそ、大いに考えさせられるものです。

そして與那覇先生は、加藤典洋については『村上春樹イエローページ』という著作をご紹介くださいます。

この著作は、加藤典洋が自分1人で村上春樹を読んで書いたのではなく、ゼミ生を中心に計31名で、2年間をかけて徹底的に読解してまとめあげた一冊です。

この著作から、「おそらくAIには決してできないであろう分析」が次々と浮かび上がってきます。

たとえば、村上春樹のデビュー作『風の歌を聴け』の冒頭には「この話は1970年の8月8日に始まり、18日後、つまり同じ年の8月26日に終わる」と書いてある。でもこの物語を詳細に読んでいくと、とてもその期間では収まらないのではないかとしか考えられなくなる。

あるいは『ノルウェイの森』は、三角関係と旅を絡めて書いている。けれども深く読んでいくと、「本当は時系列が違って三角関係ではなかったのでは?」とさえ思えてくる。

実はそのようなところから、村上春樹の「何らかのトラウマ」が見えてくるのではないか……。

たしかに、このような読み方はAIにはできないかもしれません。このような事例をご紹介いただくなかで、「AI時代に人間でしかできないことは何か」ということも見えてきます。

つまり、AIにできない「リアル」とは、まさに「私は書いた人の深い部分を知りたい」という欲求に基づくものではないか。それは、単に客観的なファクトやデータだけ集めてくればいいというやり方では、けっして到達できないものではないか。

ここで與那覇先生は、とても印象深い例を挙げられます。うつ病で被害妄想を抱いてしまった人に、「どう分析しても、それはあなたの被害妄想ですよ。それがファクトです」と告げても、何の治療にもならない。そのようなときにとても大切なのは、「ファクトチェック」ではなく「共感」であるはずだというのです。

まさにAI時代だからこそ必要なのは、自分が関心を寄せて、共感を寄せるリアリズムではないのか。

ここで與那覇先生は、江藤淳の「それは自己の感受性を絶対化しようとはしないリアリズムであり、他者を許容するリアリズムであった」という言葉をご提示くださいます。

人間が、あふれる情報のなかで様々な困難に直面しつつある現代だからこそ、深いヒントをもらえる講義といえましょう。ぜひご覧ください。


(※アドレス再掲)
■特集:AI時代に必要な「人間の教養力」
https://10mtv.jp/pc/feature/detail.php?id=264&referer=push_mm_feat

◆與那覇潤:AI時代に甦る文芸評論~江藤淳と加藤典洋(1)
https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=5842&referer=push_mm_rcm2