編集長が語る!講義の見どころ
逆境にどう対峙するか…西洋哲学×東洋哲学で問う知的ライブ/津崎先生×五十嵐先生×板東先生【テンミニッツ・アカデミー】

2025/12/26

いつもありがとうございます。テンミニッツ・アカデミー編集長の川上達史です。

「毎日難儀なことばかり~」。いまのNHK朝ドラ『ばけばけ』の主題歌(「笑ったり転んだり」)の歌詞が語りかけるように、世の中は、けっして順風満帆なことばかりではありません。どんな人にも、必ずや逆境の影がついてまわります。

そのような「逆境」への対し方を、哲学的に考えるとどうなるのか。

本日紹介するのは、そのことを津崎良典先生(筑波大学人文社会系教授)、五十嵐沙千子先生(五十嵐哲学研究室主宰)、板東洋介先生(東京大学大学院人文社会系研究科准教授)の鼎談で深掘りしていく講義です。

と、いま各先生の肩書を書いてしまいましたが、今回の鼎談も「哲学カフェ」形式。

第1話の冒頭でその「こころ」をお話しくださっていますが、お互いに肩書を外して、呼び名で呼びあい、「関係性を形から変えていく」ことで、とらわれない対話を進めていくのです。

その狙いどおり、今回の「逆境に対峙する哲学」をめぐる鼎談も、どこに話が流れていくのかまったくわからない、真摯で壮絶な知的ライブとなりました。

めくるめく対話の先に見えてくるものとは? 文字どおり珠玉の「ライブの楽しさ」を満喫できる必見講義です。

◆津崎良典先生/五十嵐沙千子先生/板東洋介先生:逆境に対峙する哲学(全10話)
(1)日常性が「破れ」て思考が始まる
逆境にどう対峙するか…西洋哲学×東洋哲学で問う知的ライブ
https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=6077&referer=push_mm_rcm1

テーマのとおり、「逆境に対峙する哲学とは?」ということから話が始まるのですが、いきなり話は「逆境というならば、その反対の言葉は『順境』。では、逆境は何に逆らっているのだろう?」という問いから始まります。

やがて現れるのが、「そもそも逆境にしか哲学は存在しないのではないか」という喝破。そして。ハイデガーの「人間はそのドアノブについて考えることはあまりない。いつ考え始めるかといったら、ドアノブが故障したときである」という有名な言葉が紹介されます。

そもそも逆境の中においてこそ哲学があるとするなら、わざわざ「逆境に対峙する」みたいに、そこだけを際立ててクローズアップするのは、むしろあまり哲学らしくないのかも……。のっけから、そもそものテーマ設定への問いが炸裂するのです。

しかしもちろん、話はそこで終わりません。

たとえば、こんなふうに、たとえ話も交えてどんどん対話が続いていきます。

《カボチャの料理をするときに、切ってみて中から虫がいっぱい出てきたら「どうして?」と思うし、問いが生まれる。何も問題なければただ、都合よくスムーズに進んでいく》

《菅野覚明先生の言葉に「神道のカミというのは風景の裏側だ」というものがある。たとえば海は、普段は生活を支えてくれる海だけれども、いざというときは津波になって逆巻いて人を呑み込む海になる。つまり自然であれ何であれ、いろんな当たり前のものが持っている「当たり前でない、他者としての側面」がある。それをカミと呼んできた》

《思いもかけない「裏側」が現れてきたときに、この世界の中で安心して生きているはずの自分が、「えっ、何、これ?」となる。自分の足元は何か、そもそも私が生きてるってどういうことなんだろう、というふうにどんどん進んでしまいかねない。その「破れ」が広がっていきかねないような不気味さがある》

《僕らは当然、常識や伝統や慣習などにのっとって現在を処理し、そこから予測される将来を考えるわけで、それが「順風満帆」ということになる。ところが逆境になると、そういったこれまでのやり方、伝統や常識や慣習というものが役に立たなくなってくる。そうすると、私たちが否応もなしに、今、この瞬間に金縛りに遭った状態のようにがんじがらめになってしまう。すなわち時間意識が崩壊していくし、空間意識も恐らくそうでしょう》

上記のように要約した文章だけを読むと、小難しく見えてしまうかもしれませんが、まったくそんなことはありません。対話を聞き入るうちに、どんどんと世界が広がっていきます。

やはり、とにかくこの講義は「百聞は一見に如かず」です。ということで、どんなテーマが言及されるかだけを列記してみましょう。

◆カミの語源とは何か? 日本の場合、西洋の場合。

◆ブッダの悟りの本道は「世界は私たちがそうあってほしい形をしていないのだ」。

◆武士道では「死のイメージトレーニング」とストア派哲学の「災厄(最悪)の予期」と「メメント・モリ(死を思え)」。

◆エピクテトス曰く「何が私たちを不安にさせるかというと、それは事柄ではない。事柄に対する思いが私たちを不安にさせる」。

◆儒教の「天譴説=天災が起きたのは皇帝の徳が足りなかったから」とは?

◆「母親の介護」という状況をどう考えるか⇒「区別、分別を取り去る」とはいかなることか。

◆逆境とはそれまでの自分が一回死ぬこと⇒「生まれ直し」は逆境の産物。

◆ネガティブ・ケイパビリティ。

◆リプシウス曰く「逆境や危機や不運など、自らの運命を呪いたくなるような出来事というのは、実は有用だ」。

◆逆境に陥ったとき「哲学で救われるか?」⇒「信(信仰)」によって逆境に対処するか、「知」によって対処するか、「行(修行)」によって対処するか?

◆モンテーニュ曰く「百姓は結局、自然に耐えている。逆境に生まれつき耐えている」。

◆白隠和尚が、破戒密通を疑われた話。

◆「天はその人に耐えられる苦しみしか与えない」の真意は?

◆エピクテトスは「哲学とは何かというと、あらゆることに対して備えておくこと」といったが、あらゆることに備えられるか?

◆武士は、常にイメージトレーニングを完璧にしつつ、最後は「禅の境地」=「型を捨てる」。

◆「逆境の中で私が変われる」ということを知ることの大切さ。

◆ハイデガー曰く「自分を支えてくれる遺産がある」。

◆カルヴィーノ曰く「古典はBGMのようだ」。

◆ナイチンゲールの怒り…「足りなくなった薬を、今使うべきかどうか」。

◆プラトン曰く「哲学の燃えている炎が別の人の魂に燃え移る」。

……もちろんこれらも、「対話」のごくごく一部。このように列記しつつも、料理のメニューが味を再現してくれるわけではないことを痛感させられます。

まさに、「台本がない対話講義」の醍醐味です。

そしてこの講義は間違いなく、何回も見たほうがいい講義でありましょう。その折々の感情や気分によって、響くものが毎回異なってくること、うけあいです。

津崎先生はこの講義を繰り返し見ることの意味について、こうおっしゃいます。

《2回目に聞く人は、今度はご自分の中で対話が始まる》

はたして、そのことの意味とは?

必ずや人生を変えるようなヒントにいくつも出会える講義です。ぜひご覧ください。


(※アドレス再掲)
◆津崎良典先生/五十嵐沙千子先生/板東洋介先生:逆境に対峙する哲学(1)
https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=6077&referer=push_mm_rcm2


公式X(@10mtv_opinion)では、毎日独自コンテンツを配信中!
https://x.com/10mtv_opinion