●「雌の選り好み」説はなかなか立証できなかった
さて、ダーウィンが唱えた「雌による選り好み」の説は、当時なかなか認められませんでした。
雄同士が競争する。その競争は激しく、勝ち残った強い雄が雌を取る。そういうことが起こるから、雄の体が大きくなったり、角が生えたりする。それには皆すぐに納得したのですが、きれいな羽やその類のものが、雌が選ぶからそうなったという意見には、19世紀のダーウィンの時代の人々は誰も賛成せず、「そんなはずがない」と否定したのです。
否定の根拠については、当時の論争を見るとひどいことがたくさん書かれています。「選り好みをするような知力が、雌にあるはずがない」とか、「雌の好みほど気まぐれなものはない。そのような気まぐれで雄が変わってたまるか」など、ご自分の経験から言っているのかと疑われるような、とても生物学的なものとは思えない議論がたくさんありました。
しかし、決定的だったのは、雌が本当に選り好みをしているということを、なかなか立証できなかったことでした。
●雌の選り好みは証明されたが、議論は続いている
ダーウィンから100年以上たった1990年代、やはり「雌は選り好みをしている」ということが本当に示されるようになりました。
いろいろな鳥や魚など長い尻尾を持つものの尻尾を半分に切り、切り取った半分を別の雄の尻尾に貼り付けて、極端に長い尻尾を持つ雄と、半分まで短くした雄をつくったところ、雌はどっちに来たかというと、長い方に来たというのです。そういう類の実験がたくさん行われ、雄は雌に選ばれるような長い尻尾や派手な形質を持っていることが本当に実証されてきたのです。
さえずりについてもそうです。とても美しい声を出す鳥はたくさんいますが、さえずらない鳥よりもさえずる鳥の方へ、たくさんの配偶者がやって来る。あるいは、さえずりが複雑で美しい雄ほど早く雌がやって来る。さえずりのレパートリーが広く、いろいろな歌い方をする雄ほど、雌がたくさん来て、たくさんの子どもを残す。そのようなことが、とてもよく分かるようになりました。十分に証拠が挙げられましたので、今では「雌が選り好みをしている」ということは確かなことなのです。
ただし、選り好みをする意味については、いまだに種々の議論が続いています。例えば、より長い尻尾がいい、より美しい方がいい、より輝かしい色がいい、よりレパートリーの広いきれいな歌がいい、というとき、その生物学的意味は何なのかという議論です。雌は何を選り好みしているのでしょうか。
●求められるのは、より多い資源か、生命力の強い遺伝子か
比較的単純な答えとして一つ挙げられるのは、雄が何か提供するものがあるときです。良いなわばりを持つ雄とそうでない雄、あるいは餌を持ってくる能力が高い雄とあまり高くない雄がいれば、雌は資源の量が多い方を選びます。
現金といえば現金ですが、ちゃんと子どもが育つかどうかはその資源量によるわけですから、生物学的にはしょうがないことです。資源量に差があるときに、雌が選り好みするとしたら必ずいい方にいくわけです。
ところが、そういう資源の提供が何もなく、交尾するだけの雄、精子をくれるだけでいなくなってしまう種類の中に、非常に派手な種類や驚くような飾り羽を生やしているものがいます。彼らは何か資源をくれるわけではないのに、何を選り好みされているのでしょうか。
一つ考えられるのは、生存力の高さのシグナルということです。これにはいろいろな意味があり、免疫の強さ、病気への強さなどがあります。
例えば、きれいな色は発色が難しく、非常に元気な個体でないと輝くような色は出ないとか、寄生虫や病原体に強いものでないと長い尻尾は伸ばせない、などです。つまり、雄の遺伝的な強さ、生存力や免疫力が正直にシグナルとして現れている、ということです。それを見て、雌は自分の子どもとなる遺伝子として、そのような強い雄の遺伝子を選んでいるのだということが、一つの理論として存在するのです。
これについては調査がなされ、確かにそうだという種類もいくつかありましたが、全てがそうではないらしいのです。そこで、「ランナウェイ」という面白い考え方が立てられました。
●自滅するまで止まらない「ランナウェイ」仮説
ランナウェイとは、「どんどん限りなく」という意味です。例えば、「尻尾(尾羽)の長い雄がいい」と雌が選り好みを始めたとします。始めたときには、長い尻尾をつくるための免疫力の高さがその原因にあった。寄生虫にも侵されず、病原体に強い雄でないと、長い尻尾はない。尻尾を見れば、いい遺伝子が選べるということが、最初の段階にはあった。ところが、その選り好みの性質が雌の中に広がっていくと...