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現在の問題は大学の「先生が多い」ことにある!?

大学改革はサプライ・サイドの見直しから

曽根泰教
慶應義塾大学大学院教授(政策・メディア研究科)
情報・テキスト
少子化の進行に伴い、大学改革をめぐる議論が続いている。しかし、大学教育の「あるべき」論は、ともすると大学生の学力等の問題に置換され、大学側すなわちサプライ・サイドの姿勢が問われることは比較的少ない。この問題について、曽根泰教氏が独自の観点から切り込んでいく。
時間:07:20
収録日:2014/07/14
追加日:2014/10/30
少子化の進行に伴い、大学改革をめぐる議論が続いている。しかし、大学教育の「あるべき」論は、ともすると大学生の学力等の問題に置換され、大学側すなわちサプライ・サイドの姿勢が問われることは比較的少ない。この問題について、曽根泰教氏が独自の観点から切り込んでいく。
時間:07:20
収録日:2014/07/14
追加日:2014/10/30
≪全文≫

●今の大学の教員数は、戦前の旧制中学の生徒数に等しい


 今日は一つ、奇妙な数字をお伝えすることから始めます。

 それは、今の大学の教員数は、何万人か。37万と言ったり34万と言ったりしていますが、この数が戦前では何にあたるかです。

 日頃あまり聞いたことのない数字だと思いますが、今現在いる大学の教員数は、戦前の旧制中学の生徒数に等しいのです。いつ頃の生徒数なのかというと、昭和5(1930)年から昭和10(1935)年ぐらいの旧制中学で、34、5万人の生徒がいました。先生ではなく、旧制中学の生徒数です。

 一方、現在の大学の教員数は、計算が非常に難しくなっています。というのは、本務と兼務がありまして、一校専任で本務教員をしている人と、非常勤など数校で兼務をしている人がいるためです。数字は両方別々に出てくるのですが、ダブってカウントしている可能性もあります。ただ、平成20(2008)年頃だと34万人で戦前の旧制中学の生徒数とほぼ一緒で、平成25(2013)年で37万人ぐらいです。


●大学の問題は、サプライ・サイド=教員側にある?


 具体的な数字にそれほどこだわらなくても、およそ30万人のオーダーで大学教員が存在します。そして、これが旧制高校の学生でも旧制大学の学生でもなく、旧制中学の生徒の数に一致する。われわれの同業の人びとの数が多くなったわけですが、どのぐらいの数字なのか、実感があまりありませんでした。それを具体的に言うのが、「旧制中学の生徒の数」です。旧制中学の生徒が少なかったとも言えるし、今の大学の先生が非常に多いとも言えるし、なかなか複雑で微妙な気持ちがします。しかし、一言で言えば「先生は多い」ということです。

 大学の話や学力の話はよく出てきますが、それは今280万人ぐらいいる大学生についての話題が実に多いです。「分数ができない」「語学力が足りない」など、大学生の話はたくさんありますが、こちら側に30数万人いる大学教員の話は実は割に少ない。

 しかし、割に少ない教員すなわちサプライ・サイドの方に問題はないのか。いやむしろそちらに問題があると考えた方がいいのではないかという話になります。


●教員のクオリティと、学部学科の教育内容への疑問


 大学の教員と中学・高校あるいは予備校の教員との原理的な違いは何か。中学・高校あるいは予備校の教師は「正解のあるもの」を教える。大学教員の場合は「正解は分からないけども、正解に取り組むことを教える」と言われます。

 そこに違いがあるとは言うものの、さて30万人以上の大学の先生のクオリティ・コントロールは? あるいは大学教員の資格とは何だろう? いずれも、あるようでないのです。

 例えば、研究業績があれば大学生に教えることができると、単純に言えるのだろうか。いったい「論文を書く」能力と「教える能力」はイコールなのだろうかという疑問が、一つにはあります。

 もう一つは、大学の学部や学科がサプライ・サイドによってできていることです。学問として、すなわち研究分野としては成立するかもしれないけれど、そこを出た学生は果たして就職できるのかもまた疑問です。

 その種の分野は山ほどあります。昔は文学部やごくごく特殊な哲学科、神学部などが槍玉に挙げられました。しかし、そういう話ではなく、「学問としては、こういう分野もあるね」「だけど、それで勉強した学生は、就職できるのか」、そこに、問題があります...
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