10MTVオピニオン|有識者による1話10分のオンライン講義
ログイン
このエントリーをはてなブックマークに追加

テオドール・ヘルツルによるシオニスト運動の始まり

イスラエルの安全保障観に学ぶ(3)現代イスラエルの建国

島田晴雄
公益財団法人日本国際フォーラム理事長/慶應義塾大学 名誉教授
情報・テキスト
テオドール・ヘルツル
イスラエルの超能動的国防意識の裏側には、欧米の列強に翻弄された建国への道がある。偏見と迫害から逃れるためには自前の国土を持つしかない。しかし、パレスチナでの近代国家建設には邪魔になる先住者だけでなく、利用しようとかかる手合いもいた。その苦闘の連続を島田晴雄氏が熱く伝える。(島田塾第115回勉強会 島田晴雄氏講演「安保意識と経済活力を考える~イスラエルとブラジルから学ぶもの~」より:全4話中第3話目)
時間:13:54
収録日:2014/07/08
追加日:2014/11/15
テオドール・ヘルツル
イスラエルの超能動的国防意識の裏側には、欧米の列強に翻弄された建国への道がある。偏見と迫害から逃れるためには自前の国土を持つしかない。しかし、パレスチナでの近代国家建設には邪魔になる先住者だけでなく、利用しようとかかる手合いもいた。その苦闘の連続を島田晴雄氏が熱く伝える。(島田塾第115回勉強会 島田晴雄氏講演「安保意識と経済活力を考える~イスラエルとブラジルから学ぶもの~」より:全4話中第3話目)
時間:13:54
収録日:2014/07/08
追加日:2014/11/15
≪全文≫

●イスラエル建国の父、テオドール・ヘルツル


 ユダヤ人の間ではやはり祖国が欲しいと願う声が高まり、近代イスラエル建国の要望が非常に強くなりました。それを象徴したのが、テオドール・ヘルツルという人です。

 オーストリアの新聞記者だった彼は1860年、ハプスブルク帝国のハンガリー、ブダペストに生まれます。ウィーン大学の法学部出身ですが、当時大変な国際都市だったウィーンに家族ぐるみで移住するような裕福な育ちでした。若い頃の彼は、ドイツ民族主義に傾倒し、「ユダヤ人はなぜドイツに同化しないで、私利私欲を追求するのか?」と、ユダヤ人批判を繰り広げていたそうです。

 ところが、フランスで起こったドレフュス事件を目撃したことで、考えが変わってしまいます。ドレフュス事件はご存じかと思いますが、ユダヤ人のフランス陸軍大尉だったドレフュスは、えん罪によるスパイ容疑で有罪となり、島流しされて死んでしまいます。

 「フランス革命の後に人権宣言を唱えたのがフランスではないか。その国でさえこうなのか」と、ヘルツルは考えました。そんな国ですら、同化しようとしていたユダヤ人をこれほど残虐に殺してしまう。それがヨーロッパ人の性格なのであれば、ユダヤ人は自分の国を持たない限り、決して安心して生きていけない。そのような考えを持った彼は、35歳のときに「ユダヤ人国家」という論文を発表して、これを力説し始めました。


●シオニスト運動の始まりとポグロム


 彼の努力が中心となり、いろいろな人が参加する「シオニスト運動」が起こります。シオニストは「シオン」という言葉から生まれました。シオンとは、シオンの丘のことで、パレスチナの「乳と蜜の流れる地」であり、この憧れのシオンがあるのがエルサレムです。

 シオニスト運動の始まりは、1897年、スイスのバーゼルで開かれた第1回シオニスト会議です。当時、ユダヤ人の中にはロスチャイルド家など、たくさんの富裕層もいましたが、運動には懐疑的でした。ロスチャイルド家などは、フランスとイギリスに本拠を持つ大金持ちですから、「余計なことをするな」と言わんばかりで、「金は出す代わりに余計なことはするな」ということだったようです。

 しかし、この頃はロシアや東欧にも悲惨な思いで暮らすユダヤ人がたくさんいました。映画やミュージカルで有名な「屋根の上のバイオリン弾き」は、彼らをモチーフとしています。

 主人公は、ウクライナにあるアナテフカという町で3人の娘たちと暮らすテヴィエ小父さん。彼らが隣近所から追われて逃げていく、つらい思いが描かれます。「陽はまた昇る」と歌いながら逃げる、悲しい物語でした。ヨーロッパ中でそういうことが起こっていたのですから、この人たちにはやはり祖国がなければいけません。

 この頃、ロシアで行われたのはポグロムというユダヤ人排斥運動でした。ホロコーストほどひどくはありませんが、意味もなく突然殺害に来るのです。逃げた人々は皆、パレスチナに向かって行きました。


●ユダヤ民族基金と世界シオニスト機構へ


 しかし、パレスチナはアラブ人たちが占拠していて、ユダヤ人の入れる隙間はありません。そこで、移住候補地としてアルゼンチンはどうかという議論が一度あったようです。シオニストたちは、イギリスのチェンバレン植民地大臣に相談に行きました。当時のイギリスは、大英帝国として世界を采配している国だったため、「祖国にできる場所を、どこか提供してもらえないか」と打...
テキスト全文を読む
(1カ月無料で登録)
会員登録すると資料をご覧いただくことができます。