●民主党の衆院選。議席数が増えても、「回復」とは呼べない
今回の総選挙で、民主党は議席を増やしました。しかし、これを“民主党の回復”と呼んでいいのでしょうか。私はそうは思いません。今回、私は、“民主党はなぜ回復しなかったのか”ということでお話をしたいと思います。
まず第一に、候補者数のことがあります。1996年に衆議院の小選挙区比例代表並立制の制度ができてから、野党の第一党は過半数の候補者を立てていました。これが、それ以前の55年体制時代の社会党と大きく違うところです。当時、最大野党の社会党は、1960年に一部が離党して民社党に分裂して以降、候補者が過半数いませんでした。どの選挙も政権を争う選挙ではなかったのです。
55年体制時代の有権者にとって選挙とは、どこかの政党に票を入れる、新自由クラブに入れる、共産党に入れる、あるいは、自民党のどこかの派閥に入れるということで、新聞も「どこが大勝」「どこが勝利」などと書きはしますが、政権を争う選挙ではなかったのです。
今回、民主党の候補者数は過半数を下回りました。この“政権を争う選挙”ということの重さをどこまで理解していたでしょうか。確かに急な選挙であったから準備不足だというのはありましたけれども、前から申し上げているように、野党第一党,政府でない方の野党というものは、明日にでも政権を取ることができ、明日にでも選挙があっても準備ができているということが大前提なのです。
では、民主党が回復しなかった理由は何なのか。民主党支持者に対していろいろ聞いてみると、怒っている人が大変多くいます。今回の選挙でその怒りは収まったのかというと、そうではありません。「いやいや、もう二度と民主党に入れたくない」というような怒りが、まだ継続しています。失望ではなく、怒りなのです。この怒りが民主党に対してあるということを、民主党はどう乗り越えてきたのでしょうか。
その怒りは何に対する怒りなのかというと、それはつまり、政権の運営に対する怒りです。政策の運営ではなく、政権の運営なのです。
歴史上、この怒りに近いものを考えますと、第二次世界大戦の敗戦、「失敗の本質」であるわけですが、軍部に対する怒りが国民にありました。あるいは、東京電力福島第一原子力発電所の事故が起きて以降の東京電力に対する国民の怒り、これは非常に大きい怒りです。それに匹敵する怒りが民主党に対してあったのではないでしょうか。
そして、民主党はその反省と、反省に基づく党の建て直し、野党の再編を行ってきませんでした。時間が過ぎれば怒りは薄まるだろう、失敗も忘れられるだろうという、いわば時間かせぎをしたにすぎなかったことが理由の一つにあります。
もう一つは、話の内容が有権者の視点とずれていたことです。あの失敗は政権運営ではなく、政策の問題であり、予算がなく、財源がなかったためにうまくできなかったとして、自分たちが実現した政策ばかりを強調しました。若干、世論の方が厳しすぎるところもありますけれども、「民主党は高校の無料化を実現した」「医療に関してはこういうことができた」と、たくさん挙げて説明したのです。
しかし、有権者の方からすれば、聞きたいのはそのようなことではありません。「まず政権運営の失敗を反省してくれ」「その原因は何だったのか」ということになります。
●失言・失策と不測の事態が重なった
また、民主党はマニフェストの運営に失敗したと言われていますが、マニフェストが原因ではないことがたくさんあります。
まず一つは、鳩山由起夫さんの普天間発言です。これは選挙中に言ったことですが、マニフェストには書いてありません。普天間飛行場を「国外、もしくは最低でも県外」に移設するということは、マニフェストには書いてはいなかったのです。
次に、菅直人さんは、参議院選挙に敗北することによって、それまでねじれていなかった参議院をねじれさせてしまいました。両院のねじれをつくったことで、国会運営は大変難しくなりました。その参院選の時、菅さんは大変不用意な形で消費税10パーセント発言をしたのです。自民党が10パーセントと言っているから10パーセントだろうという程度のことで、準備もなく、軽減税率も給付付き税額控除のことも十分検討せず、10パーセントの消費税増税というようなことを言って、選挙で負けるのです。
さらにもう一つ、マニフェストに書いていない、予想もできないことの代表例として、東日本大震災が起きました。確かに民主党でなくても荷の重い大変な出来事が起きたわけですから、自民党であろうと民主党であろうと、他の党でも処理は難しかったと思いますが、しかしながら、この時に民主党の人、特に菅直人首相が現場に介入したことについては...