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想定外だったクリミア戦争の顛末…ロシアにとっての19世紀

歴史から考える「ロシアの戦略」(2)19世紀のロシア

山添博史
防衛研究所 地域研究部 米欧ロシア研究室長
概要・テキスト
クリミア戦争、中央アジアの南下、さらに極東へ領土拡大のため向かったロシア。19世紀の動きに着目すると、イギリスやフランスとの衝突をできるだけ避けながら東アジアに攻め入ろうとしたロシアの思惑が見えてくる。それを知ることが現在のロシアの振る舞いを理解するためには必要である。今回は、想定外だったクリミア戦争の顛末をはじめ19世紀のロシアについて解説する。(全7話中第2話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
時間:08:20
収録日:2024/01/18
追加日:2024/02/26
カテゴリー:
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≪全文≫

●ロシアにとって想定外だったクリミア戦争の顛末


―― そのあたりのことを歴史的に見てまいりたいと思います。次にご用意いただいたのは、「19世紀ロシア」ということで、まさに今お話があったクリミア戦争、中央アジア、さらに極東ということで示していただいています。

 このクリミア戦争というのは、よく世界史などでも聞く言葉でありますが、どういう位置付けになるのですか。

山添 これは、べつにクリミア半島をめぐってロシアが戦いたかったわけではなくて、結果的にクリミア半島が大激戦の場になったということなので、 この名前で後世いわれているのです。

 ロシアはトルコのオスマン帝国が支配しているエルサレムの聖職者、教会の管轄権についてロシアの正教会とフランスが支援するカトリックとで争いがありました。それをめぐって、オスマン帝国の首都イスタンブールに対して認めさせようということでもめごとになって、何回目かのオスマン帝国との戦争をやりました。

 イギリス・フランスとの戦争をロシアは避けられると思っていたのに、思いがけずイギリス・フランス、それにイタリアのサルデーニャも参戦しました。それでロシア領のクリミア半島にイギリス・フランス軍が乗り込んできて上陸します。そういう激しい戦いは、イギリスにとっても、「やらなくてよかったのではないか」とあとでいわれるような辛い戦争であったわけですけれど、ロシアのほうが自国の領土で負けてしまったということです。

 なので、ロシアの立場からすると、簡単に勝てるようなオスマン帝国との戦いを始めたところ、イギリス、フランスに負けてしまったということで、これは望まない大国との戦争を誤ってやってしまった事例です。

―― イギリスとフランスの思惑というのはどういうところにあったのですか。

山添 ロシアにとって黒海の出口にあたるボスポラス・ダーダネルス海峡をコントロールしたいという願望がロシアにはずっとあるわけですけれど、そこまでロシアが勢力下におくのは許容できないというのがイギリスの立場ですので、それを防ぐというのが大きな動機です。


●ロシアは遊牧民族圏をなかなか治められなかった


―― なるほど。次の中央アジアというのはどういう話になりますでしょうか。

山添 ...
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