DATE/ 2016.05.09
第7回 チーコ物語
美子ちゃんは温泉が好きで、東北や北海道の温泉地を2人でよく旅行していました。しかし、ねず美ちゃんが来てからは旅行に行きづらくなっていましたが、近くに住んでいる美子ちゃんの両親が、旅行中面倒を見てくれるということになりました。
旅行に行くときは、ねず美ちゃんをキャリーバッグに入れて、本来ならペットを飼ってはいけないことになっている(でもこっそり飼っている人も多い)美子ちゃんの両親のマンションに預けに行きます。もちろん、ねず美ちゃんのゴハンも持って行きます。
美子ちゃんのお父さんもお母さんも猫が大好きです。ねず美ちゃんを連れていくと「可愛いねぇ」「可愛いわねぇ」と言って喜んでくれます。ねず美ちゃんも、自分が可愛がられることを察知して安心しているようです。猫は人間から寵愛を受けるための技をいろいろ持っていますが、自分が可愛がられているかどうかを察知することも敏感なのかもしれません。
美子ちゃんは、お父さん、お母さん、お兄さんの4人家族で、まだ畑が多かった世田谷区桜丘というところの小さな平家で育ちました。そして、前にも書きましたが、チーコという茶トラの通いノラ猫がいて、美子ちゃんはその猫に可愛がられていました。
縁側でチーコといとこの弘子ちゃん(右)と。
チーコはメス猫で、昼間はまるで乳母のように美子ちゃんを寝かしつけたり、遊び相手になったりしていたそうです。美子ちゃんがチーコを抱いているとき、チーコの足が地面についていても、抱かれているふりをして美子ちゃんの行く方向にヨチヨチ後足で歩いていたとか。賢い猫です。
ノラとしての気骨もあり、美子ちゃんのうちでゴハンは食べますが、決して泊まることはなかったそうです。夜になるとどこかに行き、翌日雨戸を開けると必ず縁側に座って待っていたそうです。
昼間は乳母の仕事(?)で家に上がることもありますが、ノラとしてのプライドで、寝床まで世話になることはなかったのです。あるいは、ノラとしての自由を大事にしていたのかもしれません。
お母さんは、チーコに子育てのお手伝いをしてもらっているように思っていて、一人前の人間のように敬意を払って接していたそうです。
美子ちゃんも、「チーコのことを思い出すと、それは人格みたいなんだよね。猫ということではなく一人前の懐かしさがある」と言います。そんなふうに育った美子ちゃんは、自分は猫と特別な関係だったと思っていたそうです。「ねこ目の少女」(by楳図かずお)みたいですね。だから、ねず美ちゃんにも、まるで人間と話しているように話しかけるのです。
美子ちゃんが小学生になってもチーコはいた。
チーコが美子ちゃんの家に出入りするようになってから、他のノラも近所の家に入り込んで食べ物を盗むようになり、近所から苦情が出るようになったそうです。「お宅がノラを可愛がるから、ノラが家を荒し回るようになったじゃないか、なんとかしてくれ」と言われて、お父さんがチーコを、世田谷通りを越えたところにある馬事公苑あたりまで捨てに行ったそうです。家から歩いて30分ぐらいのところで、可哀想だけど仕方がないとチーコを置いて帰ってきました。
ところが、3、4日してチーコがボロボロになって帰ってきたそうです。地理がわからないのに、いったいどうやって帰ってきたんでしょう。それからは、近所から何を言われても「チーコはうちの猫です」と言って、決して手放すことはしなかったそうです。
家に入っても泊まらなかった。
チーコは何度か子どもを産み、そのたびに子猫を見せに来ていたようですが、子猫が美子ちゃんのうちに懐くことはなかったようです。
チーコは亡くなるときどこかに行ってしまい、そのまま戻ってこなかったそうです。昔の猫は、死んだ姿を人に見せなかったと言いますが、猫だけど見上げたものだなあと思いました。
旅行に行くときは、ねず美ちゃんをキャリーバッグに入れて、本来ならペットを飼ってはいけないことになっている(でもこっそり飼っている人も多い)美子ちゃんの両親のマンションに預けに行きます。もちろん、ねず美ちゃんのゴハンも持って行きます。
美子ちゃんのお父さんもお母さんも猫が大好きです。ねず美ちゃんを連れていくと「可愛いねぇ」「可愛いわねぇ」と言って喜んでくれます。ねず美ちゃんも、自分が可愛がられることを察知して安心しているようです。猫は人間から寵愛を受けるための技をいろいろ持っていますが、自分が可愛がられているかどうかを察知することも敏感なのかもしれません。
美子ちゃんは、お父さん、お母さん、お兄さんの4人家族で、まだ畑が多かった世田谷区桜丘というところの小さな平家で育ちました。そして、前にも書きましたが、チーコという茶トラの通いノラ猫がいて、美子ちゃんはその猫に可愛がられていました。
チーコはメス猫で、昼間はまるで乳母のように美子ちゃんを寝かしつけたり、遊び相手になったりしていたそうです。美子ちゃんがチーコを抱いているとき、チーコの足が地面についていても、抱かれているふりをして美子ちゃんの行く方向にヨチヨチ後足で歩いていたとか。賢い猫です。
ノラとしての気骨もあり、美子ちゃんのうちでゴハンは食べますが、決して泊まることはなかったそうです。夜になるとどこかに行き、翌日雨戸を開けると必ず縁側に座って待っていたそうです。
昼間は乳母の仕事(?)で家に上がることもありますが、ノラとしてのプライドで、寝床まで世話になることはなかったのです。あるいは、ノラとしての自由を大事にしていたのかもしれません。
お母さんは、チーコに子育てのお手伝いをしてもらっているように思っていて、一人前の人間のように敬意を払って接していたそうです。
美子ちゃんも、「チーコのことを思い出すと、それは人格みたいなんだよね。猫ということではなく一人前の懐かしさがある」と言います。そんなふうに育った美子ちゃんは、自分は猫と特別な関係だったと思っていたそうです。「ねこ目の少女」(by楳図かずお)みたいですね。だから、ねず美ちゃんにも、まるで人間と話しているように話しかけるのです。
チーコが美子ちゃんの家に出入りするようになってから、他のノラも近所の家に入り込んで食べ物を盗むようになり、近所から苦情が出るようになったそうです。「お宅がノラを可愛がるから、ノラが家を荒し回るようになったじゃないか、なんとかしてくれ」と言われて、お父さんがチーコを、世田谷通りを越えたところにある馬事公苑あたりまで捨てに行ったそうです。家から歩いて30分ぐらいのところで、可哀想だけど仕方がないとチーコを置いて帰ってきました。
ところが、3、4日してチーコがボロボロになって帰ってきたそうです。地理がわからないのに、いったいどうやって帰ってきたんでしょう。それからは、近所から何を言われても「チーコはうちの猫です」と言って、決して手放すことはしなかったそうです。
チーコは何度か子どもを産み、そのたびに子猫を見せに来ていたようですが、子猫が美子ちゃんのうちに懐くことはなかったようです。
チーコは亡くなるときどこかに行ってしまい、そのまま戻ってこなかったそうです。昔の猫は、死んだ姿を人に見せなかったと言いますが、猫だけど見上げたものだなあと思いました。