伊賀・甲賀に忍者が多い理由とは
「忍者」とは何か(3)伊賀・甲賀に忍びが多い理由
伊賀・甲賀地域は山城が多いという地理的要因から近隣の大名も攻めにくく、小さな武士集団が乱立していた。天正伊賀の乱で伊賀勢は織田信長に滅ぼされるが、逃れてきた者たちのなかで特殊技能を持つ忍者たちが下級武士団として...
収録日:2019/08/27
追加日:2020/01/30
戦国時代の「忍び」とはどのような存在だったのか
「忍者」とは何か(2)「忍び」技術を持った専門集団
黒装束に十字手裏剣を投げるといった一般的な忍者のイメージは、実は江戸時代後期につくられたもので、実像とは異なっている。実際の忍者は、情報探索や斥候、奇襲、守衛など特殊任務に就いていた足軽で、彼らはその土地と結び...
収録日:2019/08/27
追加日:2020/01/23
厭離穢土欣求浄土――徳川家康の旗印に刻まれた宿題
家康の人間成長~戦略性をいかに培ったか(5)ブレーン集団と死生観
徳川家康が戦国最後の覇者となったのは、またどんなことからも吸収し、誰からでも学ぶ姿勢が大きかったからかもしれない。家康の周囲には常にブレーン集団が存在し、知恵を寄せ合った。家康の死生観は「名を惜しむ」という当時...
収録日:2022/10/03
追加日:2023/01/29
大久保彦左衛門の『三河物語』が伝える伊賀忍者の役割
「忍者」とは何か(4)伊賀者の役割と忍びとしての使命
実際に伊賀、甲賀の忍者はどのように戦っていたのか。江戸時代初期に書かれた『三河物語』などを見ると、彼らはまず突撃をして戦況の打開を図る役割を担っていたことが分かる。また、彼らは姿を現わして情報収集を行う「陽忍」...
収録日:2019/08/27
追加日:2020/02/06