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中国由来の「和」の精神を聖徳太子はどうアレンジしたか

法隆寺は聖徳太子と共にあり(1)無条件の「和」の精神

大野玄妙
法隆寺 管長
情報・テキスト
「唐本御影」聖徳太子が描かれた肖像画
日本人ならば誰もが、法隆寺を建てたのは聖徳太子だと知っている。しかし、法隆寺と聖徳太子の関係は、私たちが想像している以上に深く、また謎のままの部分も多い。聖徳太子が残した法隆寺は、現代に生きる私たちに何をもたらしたのか。法隆寺管長・大野玄妙氏が、軽妙なそして含蓄ある言葉で、法隆寺と聖徳太子の関係を語る。(全8話中第1話)
時間:08:27
収録日:2016/03/09
追加日:2016/10/01
≪全文≫

●条件付きの「和」、無条件の「和」


大野 皆さん、こんにちは。今日は足元の悪い日ですが、ようこそ法隆寺へお参りいただきました。どういうお話をさせていただこうかなといろいろ考えたのですが、その時の都合でどこへたどり着くか分からないやり方、例えて言えばボートピープルのようなやり方の方が面白いかなと思いました。

―― 日本が宗教的に平和だったのは、聖徳太子が仏教を取り入れたことが関係しているのではないか。日本の歴史と聖徳太子の志にはどのような関係があるか。

大野 皆さんもよくご存知のように、聖徳太子さんといえば、「和を以って尊しとす」という和の精神を提唱し、これを広めた方です。

 ではその「和の精神」とは一体何か。よくご存じのように、この「和を以って尊しとす」という言葉は、実は中国の『論語』、そして『礼記』からの出典で、太子さんはこの言葉を引用したのではないかということが昔からいわれています。

 そこで『論語』をきちんと読んでみると、これは礼の働き、「礼の用は~」というように書かれています。つまり『論語』が述べているのは、「条件付きの和」なのです。要するに、世の中の秩序や上下関係など、そういったものが正しく機能するためには、皆で仲良くしなければならない。だから和が必要である。こういう考え方が、もともとの中国的な和の考え方です。

 では聖徳太子さんの和とは、一体何か。実はこの和は、いきなり「和を以って尊しとす」と出てきます。つまりこれは、「無条件の和」です。条件がありません。そうすると、その無条件の和とは一体何か。それを考えてみるには、まず私たち日本人が、どのような生活をし、どのように現在の状況まできたかという歴史をたどる必要があるかと思います。そして、その歴史をたどる前には、聖徳太子さんよりもはるか以前から考えていかなければならないと思います。


●日本の地理環境が「和」の精神を生んだ


大野 それはすなわち、私たちが置かれていた周囲の環境です。これはもういうまでもなく、海に囲まれた狭い地域であるということです。日本列島は、北海道から九州、沖縄まであるわけですが、ここは比較的、人類が生活しやすいような環境下にありました。そういう環境下にありつつ、しかも海に囲まれて、周囲から隔離をされています。当然、日本の人々は、単一の民族ではないことは誰しも分かっています。長い時間をかけて、徐々に徐々に、ある人はボートピープル、ある人は陸が続いていた頃に歩いて来た人もいたでしょう。そういった人たちの間で、交流や混血といった形で組み合わさり、そして日本人が形成されてきたのです。

 その結果、日本人のものの考え方は、周囲の環境に強い影響を受けてきました。少ない資源を皆で仲良く分け合い、助け合いながら生きていかないといけない。日本はそういう社会でした。そういう環境下で何が起こったかと言えば、思いやりやいたわり、あるいは多様性、いろいろなことに対応できる能力などが培われてきたのです。

 特に私たち日本人は、謙譲の美徳とか、日本人は謙虚であるなど、いろいろな言い方をします。では、その「謙譲の精神」とは一体何か。これは、日本が島国であるから、そういうことが重視されてきたわけですね。狭いところで、毎日顔を合わせて生活をします。だから余計なことを言ってしまうと、次の日、気まずいのです。そのため、そういう環境で生まれてきたのは、「遠慮をする」ということでした。同時にそこで、「これは言わない方が良いだろう」という予知能力が働きます。「これを言ったらおしまいや」ということです。

 こうした結果、日本人の精神性とは、非常に思いやりがあり、あたたかくて、しかもいたわり合うというものです。「謙譲の精神」の中で、いま話したような精神が保たれ、そして多様性に富んだ民族であったということです。


●日本と異なる、他国の感覚


大野 では、日本人以外のいわゆる大陸の人々はどうだったのでしょうか。これを考えてみますと、皆さん、世界史でご存じのように、例えばモンゴル高原ではいろいろな国が勃興します。そうすると彼らは、ドンパチやるわけです。けんかします。けんかをしたら、彼らはダーッと逃げていきます。そうすれば、お互い二度と会わなくてもよくなるからです。皆さんも歴史でご存じのように、匈奴という民族はヨーロッパまで逃げていきました。あるいは、現在のハンガリーと結びついたマジャール人です。それ以前ではアラン人など、東洋からずっと入ってきた人たちはいろいろいるわけですが、そういう人たちは、最終的にフランスを越えスペインを越えて、ジブラルタル海峡を渡って北アフリカに入り、そして国家をつ...
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